大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

筋肉で冬季五輪がえらいにわる

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今2006年二月ですがもうすぐイタリア・トリノで冬季五輪が開催される由、新聞に選手の紹介記事が多いのですが、私は熱心にそれらの記事を読むわけではなく、流し読みするだけです。スポーツの才が全く無いものですから特別に興味が涌かないのです。

前置きはさておき、まずは目に飛び込んでくるのは選手の写真ですね。そこで思わず一首を詠んでしまいました。下の句が飛騨方言です。えらく賑わう、という意味です。一字脱落して飛騨方言動詞です。ネット情報が皆無に近く、俚言ではないかと思います。また飛騨方言では同意語の動詞で、にわる、とも言います。ところがたった今のネット検索速報ですが、津軽方言にも、にわる、がありました。私にとっては大発見です。それだけではありません、Hidetaka Sato氏もやはり俳句を詠んでおられます。 津軽語と共通語での俳句

推察ですが、にぎわう>にわう>にわって>にわる、と考えるのは突拍子もないでしょうか。連用形が同じ形になる事の連想から、にわうの促音便がいつしか、語幹は同じなれど別語尾の動詞の連用形として勘違いされ、動詞・にわる、を誕生させたのではないかという意味です。つまりは、飛騨の人も津軽の人も、やはり日本人の考える事・する事は同じなのでしょう。私の興味はこのようなペア動詞がないか、という興味に途端に移っています。

さて、形容詞の連用形を用いず終止形で動詞にかかる形式は名古屋方言の影響でしょうか。どえらいうみゃー(うまい)などと言いますもの。一方、飛騨方言では形容詞連用形はウ音便になるのも寧ろ一般的なので、ここは、えろうにわる、と詠んでも良いのかもしれません。がしかし、ムチムチの筋肉質の選手の写真をみながらにやにやと、エロうにわる、と詠むのはいくらなんでもねえ、絶対によくないですよねえ。しかし恣意的に、えらいにわう、と詠んでいるわけではありません。飛騨方言に、たいもない(=とてつもない)という形容詞がありますが、体がとても疲れるという時は
たいもないえらい
というはずです。たいもなくえらい、あるいは、たいものうえらい、と言えば寧ろ飛騨方言のセンスから少し離れると思いませんか?

おっとう!!句意ですが、いやああの筋肉、努力の賜物なんですね!敬服いたします。いや、やはり天性なんでしょうかね、だろうなあ。私事ですがギターで左手の使いすぎ、手根幹症候群になり、二年前にさる東京の整形外科の先生の所へ新幹線通院していました。お蔭様で本当に随分とよくなって、今は拇指球、小指球ともに筋肉モリモリです。こちらは天性ゼロ、努力の賜物でした。

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