大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

だばはち(2)

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僕:だばはちに記載した通りだが、実は、確かに自分の記憶に残る言葉といっても必ずしも飛騨方言とは限らない、という事の見本の言葉らしい。
君:飛騨方言どころか、日本語じゃないわよ。
僕:そう。つまりは大西村だけの言葉どころか左七家だけの言葉の可能性もある。今、各種の資料にあたってみたがどこにも記載は無い。
君:言語学でいうところのラングとパロールの問題ね。
僕:そう。ラング(langue)は社会的側面から見た言語のことで、言語学が解明すべき研究対象概念を表す記号の体系。パロール(parole)は個人の一回限りの言語活動。
君:パロールである「だばはち」について議論しても学問的には無価値と考えざるを得ないわね。教条的な言い方をすれば、正しい言葉遣いを覚えましょう。
僕:でも、言葉の雰囲気として「だばはち」が卑罵語であろう事は容易に想像できるでしょ。
君:「だば駄馬」+人を示す接尾語「はち八」かな。
僕:そうだね。左七と言えば人の名前だから八番目の子で長八。だが歌舞伎役者さんのお名前に現れる如く、長男だからと言って一郎とは限らない。「はち八」と言えば男性を示す、で決まりのような気もするけれど、「うそっぱち嘘八」からの連想のような気もするな。「うそっぱち嘘八」は「嘘八百」から来ている。八百に特別な意味がある訳ではない。数がとても多い事の例えだ。八百比丘尼伝説は知っているよね。
君:日本全国だけれど、飛騨なら間瀬村ね。呪文により長生きの術を得て永遠の美を誇ったものの八百年も生きて数知れない夫を看取り苦しんだお話。
僕:そう。「はち」の解釈はそれでいいとして、「だば駄馬」は本当にそれでいいかな。副詞句「だばえた(=たわけた)」から来たのでは、と考えたい。
君:左七家の言葉なのに、考えたい、とはどういう意味かしら。
僕:祖母がよく言っていた。既に故人。聞きようがない。
君:ほほほ、ドラえもんののび太ね。何て事はないわ。それって卑罵語じゃないわよ。ニコニコしながら「ダメだよ、左七。そんな事しちゃ。」と仰っただけの事でしょ。ほほほ

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