本稿は室町時代の方言の伝播過程を論ずるつもりですが、トウモロコシを飛騨方言ではトウナ、越中方言ではトナワ、といいます。
何だチョッピリ訛っただけのお話ですか、と思った方よ、さようなら。
さてトウモロコシほど全国でさまざまな言い方で呼ばれる言葉は無く、約百六十余とか、
ご興味ある方はネット検索してみてください。
ただし飛騨・富山は唐あわと記載されていますので、(事実は上記の通り)おそらくは
二百余あるのかもしれません。室町時代にポルトガル宣教師がもたらしたそうで、
唐から来た訳ではないのですね。余談はさておき、何故呼び方がかくも沢山あるのでしょうか。
私の直感ですが、それは室町時代に全国に瞬く間に広まったからなのでしょう。
マスコミが無かった時代の方言のスピードは年速一キロメートルです。
百キロ離れた場所へ言葉が到達するのに一世紀かかる訳です。
トウモロコシは当時としては画期的な穀物であり、
年速一キロ以上であっと言う間に広まったと考えれば説明可能です。
つまりは、この名も無い穀物を全国のお百姓さんが思い思いに命名したのでしょう。
以上が前置きです。ふふふ。
さて越中方言トナワ・飛騨方言トウナはおそらく
富山 とうあわ>とうなわ>となわ
飛騨 とうなわ>とうな
と変遷してできた言葉ではないでしょうか。
あるいは越中方言となわ>飛騨とうな、の可能性も
無きにしもあらずです。
となれば、富山から飛騨へトウモロコシが輸入されたという事になりましょう。
ところで美濃方言でコーラキビです。高麗から来たキビという意味でしょう。
つまりは岐阜地方には太平洋ルートでもたらされたのです。
かたや飛騨地方ですが、富山を通じて北陸ルートでもたらされたという事
がわかります。
飛騨方言とうな>越中方言となわ、と変化した可能性はどうでしょうか。
書くまでも無く、その可能性はありません。
あっという間に全国に広まったであろう穀物が
美濃から飛騨、次いで飛騨から富山に広まったであろう可能性はありません。
北陸に広まり、ぶり街道をひた走り内陸、つまり飛騨に広まったと
考えるべきでしょう。
筆者が、飛騨方言とうな>越中方言となわ、と変化した可能性が無い
と考える大事なもう一点ですが、越中方言は飛騨方言以上に速くて、短しをよしとする
方言であるという事です。飛騨方言でおり(私)・わり(あなた)を、おあ・わあ、と言うくらいです。
富山はチャーチャー弁、しらんちゃ、を飛騨方言では、しらんのじゃ、どうしても長くなってしまいます。
筆者は実は富山方言について少し勉強しだしたばかりですが、
飛騨方言が富山に伝播して語数が増える事など筆者の富山方言感覚からは想像できません。
もし飛騨から富山へトウモロコシが伝播したのなら、越中方言トナワはトナでええちゃ、誰か知らんがけ?
( ちょっこし越中方言のつもりなんやさあ。 )
追記 2006/09/16
飛騨市古川西小学校記事を見落としていました。高山の北十キロ・古川
界隈では富山と同じく、となわ、です。従って、となわ・とうな、両方言の境は
飛騨のまん中、高山市界隈のようです。
宮川流域がトナワ、益田川流域がトウナという事かも知れません。
富山及び飛騨北部 とうあわ>とうなわ>となわ
飛騨中央以南 とうなわ>とうな
と訂正します。北飛騨の方言、荒垣秀雄著、国書刊行会、昭和50年、には
トーナオ、トナオ、トナワ、トーナワ、の四種類が記載されています。