古語辞典をみますと、巻末に助動詞の一覧表があります。
これをザアッと眺めてみますと、奈良・平安時代の助動詞で
現在でも飛騨方言で使われている助動詞なんてひとつもありません。
いくら方言とは共通語に比し古風な言い方で、古語に
由来する言葉が多いとはいえ、
飛騨方言とて現代文である以上は
当たり前の事ですね。前置きはさておき。
この古語辞典巻末の助動詞リストのうち、現在でも
飛騨方言で用いられるという意味で真っ先に目に飛び込んでくるのが、室町期からの(指定の)助動詞特別活用・じゃ、です。
活用は、じゃろ・じゃっ・で・じゃ、です。
連体形は滅びています。
さすがに古めかしい言い方ですから、やはり大人、というよりは
老人の口調でしょう。文例ですが、
▼行くんじゃろう
▼行くんじゃって・行くんで
▼行くんじゃ。、になります。
ところが若い人はこの助動詞特別活用・じゃ、に変わり助動詞・や、
を用いる傾向があります。即ち、
▼行くんやろう
▼行くんやって・行くんで
▼行くんや。、になります。
尚、撥音便がなくとも(ん、を、の、に変える)飛騨方言のセンスにあいます。
じゃ−>や、の語変化はいつ生じたのでしょう。
明治・大正生まれの筆者の親族は皆、じゃ、を用いていますが、不明と言わざるを得ません。
以上が本当の前置きです。
さて、室町時代の上方(かみがた、関西)の口調が今に残る飛騨方言ですが、
ここに登場するのが、同じく(指定の)助動詞特別活用・だ、です。
中村通夫氏により、江戸時代から用いられ、
漢学者の講釈、国学者の口語訳、僧侶の
説教などに見られる事が明らかにされたそうです(山口仲美、日本語の歴史、岩波新書)。
つまりはお堅い言葉、知識層・教養層の助動詞・だ、ではあるにせよ
これが江戸言葉として取り入れられ、▼行くんだろう
▼行くんだって・行くんで
▼行くんだ。、になり、明治時代には晴れて共通語となっても、
実は飛騨方言助動詞・じゃ(や)の地位は微動だにしませんでした。
天領時代、幕府直轄領が延々と続いても(考えてもみてよ!)江戸言葉は
飛騨の民百姓には無縁です。
厳しい幕藩体制の下、人々に諸国の往来は許されませんでした。
それでも明治になり、晴れて飛騨の民は続々と東京に向かいましたが、
以下はまとめに。
まとめ
金田一京助氏の言ですが、"江戸人・東京人にないもの、それは
故郷。半年も東京に出て行って、帰ってうっかり東京語を
出しでもしたら、生意気だとかキザだとか、たちまち白眼視される所が
故郷である。"・・・だそうです。
つまりは飛騨と決別する気持ちがあれば、その人は(室町期)助動詞特別活用・じゃ、
を捨てるでしょう。
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