日葡辞書に おのれ Vonore おのれが Vonorega おのれと Vonoreto おのれめ Vonoreme が記載されています。
安土桃山時代の畿内方言ですが、実際は当時の共通語、と考えても
差し支えなく、飛騨においても、おのれ、が用いられていたので
あろうと考える事が出来ます。裏付ける資料、つまりは当時に飛騨で記載された古文書、あるいは古典文学が
あれば証左となりましょう。
時代が過ぎ、江戸時代初期には江戸において、おのれ>おれ、の
変化が生じ、現代共通語の基となったようです。
一方、飛騨では、おのれ>おれ>おり、と変遷して現代に至ったようです。
飛騨では、おのれ>おり、と変遷した可能性は無いでしょう。
筆者が着目するのは格助詞・は、です。
おれは、といっていたものが次第になまり、おりゃ、という
ようになったと考えたい所です。つまりは、おりゃ、という
複合語から、おり、という代名詞が発生した、と主張したいのです。
江戸時代初期の一人称・おれ、は男女共に用い、しかも丁寧、
折り目正しい言葉であった事が各種の書物に書かれています。
飛騨方言において、女性、といっても明治大正うまれの
女性らが男子と同様、おり、を用いるのも江戸時代からの
話法の伝統が飛騨方言において守られてきた事
を示すというわけです。
賢明な読者の方はすでにお気づきですね。
おり、が飛騨方言の現代語である以上、その昔江戸時代初期には、
おり、ではなく、実は飛騨でも、おれ、だったのでしょう。
男女とも、おれ、です。そしてそれは実はぞんざいな言い方でも、
粗野な言い方でもありませんでした。
飛騨方言には吐き捨てるような言い回しの代名詞は
実は存在しなかった、とも考えられます。
以上の仮定がすべて正しいとすれば、
安土桃山時代以前に、飛騨方言においては男女とも
第一人称に、おのれ(実は丁寧語)、を用いていたのであろう、という事が
わかります。
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