大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 近世 |
げばす(1728-1897) |
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私:昨日は「げばす」の語源は「かけはづす」であり、日葡辞書に記載がある事をお披露目したね。 妻:また何か新しい事がわかったの?実は解釈が少し違っていました、とか。 私:それは断じてない。各種の飛騨方言資料があるが語源についてキチンと書かれたものは皆無に近いだろう。日葡辞書を根拠として語源を「かけはづす」とすれば、次から次へと、この言葉について具体的に新しい事が判るんだ。そして、それはまた、僕しか気づかない事だ。だからこうやってネットに発信する事は価値があると信じている。 妻:具体的にはどのような新事実なの? 私:「かけはづす」「かげはづす」「げはづす」「げはす」「げばす」ざっとこのような音韻変化で「げばす」が成立した事には異論ないよね。 妻:まあ、そうかもね。ならばどうなの? 私:「げばす」が成立した年代だが、1728年以降に間違いないね。 妻:それはまた細かい具体的な数字ね。その根拠は? 私:1728年は幕府直轄領・天領飛騨の代官・長谷川忠崇が飛騨の歴史をまとめ、飛州志を著わした年だ。飛州志には「げばす」の記載が無い。 妻:なるほど文献なら万民が納得するわね。ところで、そもそも、あなたがどうして「げばす」に入れ上げるのかがよくわからないのだけど。 私:ははは、無理もない。ところでお国言葉という言葉があって、その地方では大人気の方言ってのがあるだろ。「げばす」という言葉は飛騨方言としてはトップテンに入るような最重要単語だ。飛騨の人々はこの言葉が大好きなんだよ。大失敗という意味で「おおげばし」という言葉もよく使われる。「おおげばし」もとても大切な言葉だ。動詞「げばす」と名詞「おおげばし」の二語は現代に生きている方言で、おそらくは両語は今後も生き続けるだろう。 妻:なるほど。でも、全国的な知名度と言えばゼロに近いわね。 私:そうだね。飛騨の人口はたかだか十万ちょい。岐阜県の人口が二百万で、つまりは岐阜県民の大半は美濃地方に住んでいる。飛騨は面積だけは岐阜県の半分だし、高山市の面積に至っては堂々全国一位なのにね。過疎地の方言が全国的に注目される事など期待する事自体が無理だが、方言の価値は全国ブランドかどうかという事ではなく、同郷の人々で気持ちが通ずるかどうかという事だ。それ以上でもそれ以下でもないだろう。 妻:そうね。ところで、1728年以前には飛騨では「かけはづす」と発音していたのかな? 私:その可能性はおおいにあると思う。代官・長谷川忠崇は飛州郡代として江戸幕府から派遣されてきた超エリート官僚、教養人であっただろう。僻地・飛騨へ赴任して彼なりに気を引かれてしまった飛騨方言を記載したのが飛州志だ。日葡辞書は江戸時代初期の畿内方言を記載した辞書、つまりは江戸時代の共通語を記載した辞書だ。飛州志に「げばす」の記載が無いという事は、当時の飛騨地方では「かけはづす」と発音していたと考えるのが自然だね。越中方言集(伊藤風年/1897)に「げばす」の記載があるから、飛騨で「げばす」が完成して富山県に伝搬するまでの年代ですら1728-1897の間という事がわかる。つまりは「かけはづす」を語源として「げばす」が完成するのにおよそ百年、飛騨から富山に「げばす」が伝搬するのにおよそ50年ほど、と推察すれば当たらずと言えども遠からずだろう。 妻:あらら、随分、細かい事が判ってきたわね。でも、それは若しかして全てあなたの妄想なのよ。 私:ははは、そうかもしれないが、でも具体的に文献を基にお書きしている訳だから僕としてはそう考えざるを得ない。 妻:でも変よ。飛騨から富山へ言葉が伝わったとおっしゃるけど、富山から飛騨へ言葉が伝わったかも知れないじゃない。 私:ははは、もっともなご意見だ。だが然し、事実はそうではない。方言周圏論が有名すぎるが、方言が伝搬するパターンは実は決まっていて、簡単に説明すると飛騨は「言語島」で、「げばす」の伝搬パターンは「地をじわりじわりと伝わるパターン」と考えると、1728-1897という年代と全国広しと言えども越中・飛騨・下伊那でのみ話されている言葉「げばす」の説明がドンピシャリという事なんだ。 妻:「言語島」なんとなく意味はわかるけど山国・飛騨なのに方言学上では「島」なのね。ほほほ 私:地形的には孤立した地方だ。全国を真っ二つに割っている方言の大境界線がひとつは飛騨山脈、もうひとつは白山、つまりは飛騨方言はよりによってその大境界線に挟み撃ちされている言語島の言葉なんだよ。富山県境も渓谷で人を寄せ付けない地形であり、然も江戸時代にはそこに猪谷関所すらあったのだから飛騨は文化的にも日本海文化から隔絶されていたわけだね。 妻:なるほどわかったわ。飛騨で発明された「げばす」という動詞が富山と下伊那へジワリと這って行った、つまり漏れ出たのね。 私:そこまで理解してくれれば何も言う事は無い。そして飛騨地方の人々が「げばす」を今尚、大切に使っているのは、それは自分達が発明した言葉だからだろうね。 妻:納得するわ。でも、あなた少し熱くなり過ぎよ。全国各地の方言って皆、その地方の人達の創作みたいなものでしょ。「げばす」が特別ではないのよ。 私:そうだね。あの言葉みたいに全国ブランドになっていたらなぁ。 妻:なあに?あの言葉って。 私:飛州志に記載されている「でかい」だ。 妻:「でかい」って現代語で共通語じゃないの。 私:だから長谷川忠崇がびっくりした飛騨方言なんだよ。 妻:あっ、そうか。江戸時代はとっても大きいという意味でどんな言葉が使われていたの? 私:「いかし」だ。江戸時代の飛騨人はこれに接頭語(辞)「ど」をつけて「どいかし」という言葉を発明し、さらにこれを発展させて「でかし」という形容詞を発明したのだ。 妻:まさか、あなた、エリート官僚の長谷川忠崇様が江戸に「でかし」をお持ち帰りなさって、言葉は江戸城内で大流行り、遂にはお江戸八百八町に広まったという意味? 私:その通り、「でかい」は全国制覇を成し得た唯一の飛騨方言だ。極めて特殊というべき方言の伝搬パターンだね。でも、飛騨方言のパワーが理解できたでしょ。 妻:「げばす」が1728年前に生まれていれば飛州志に記載されて形容詞「でかい」・動詞「げばす」が共通語になっていたかもしれないのねぇ。 私:歴史に、若しも、が無いのが残念だ。 妻:あなたの「でかい」夢、でも実は「げばいた」話だったわね。ほほほ |
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