大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨方言・おれ、と(江戸の)僕・私

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▼俺、▼僕、▼私、の三者いずれも古語辞典に記載があり、日本語の変遷を垣間見る事ができます。抜粋しますと、▼おれ(己、乃公。同輩、目下に対してもちいる。女性も用いた。近松・大経師、上)、▼わたくし(私。自称。現代もワタクシ。狂・神鳴)、▼ぼく(僕。江戸時代末期、漢文訓読が語源。学者言葉の書き言葉で自身を卑下する。)

山口仲美著・日本語の歴史、岩波新書によりますと、わたくし、は鎌倉・室町期に成立、相手へ敬意を示す為に用いられ、江戸時代に更に、わたし・わし、に変化した由。おれ、の成立も鎌倉・室町期、男女とも目上にも用いたが、江戸時代後期には男のみ用い、敬意もなくなった由。方言学に言う「敬意逓減の法則」です。

もっとも古語辞典にある如く、おほやけ・わたくし、共に平安文学の言葉ですから、おれ、わたくし、ぼくの三者の語源中、一番古いといえます。平安時代には飛騨工が常に都の言葉を飛騨に持ち帰っていたので、半ば冗談ですが飛騨方言で、わたくし、が使われていた可能性は無きにしもあらずです。以下はまとめに。
まとめ
 飛騨方言では男女とも、おれ、を用いるが実は江戸時代までは全国的に用いられていた。江戸後期女言葉・わたし、及び、明治初期男言葉・ぼく、は飛騨方言にはならなかった。飛騨方言は実は << 江戸時代から現代までほぼ同じ >> であると考えられる。

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