飛騨方言に、げばす、という動詞があります。失敗するという意味です。愛嬌のある言葉ですし、語源を知りたいと思うのは飛騨に生まれ育った佐七の人情というものです。既にあれこれと記事を書きました。別稿の
げばかす・飛騨方言
動詞“げばす”(失敗する)の語源
げばす、の語源に関する活用の点からの一考察
発見!これぞ、げばす、の語源
飛騨方言・げばす、の語源に関する一考察(続)
などを参考にどうぞ。筆者は語源が、古語動詞・けはずす、に由来すると確信しています。
さてここまでは実は筆者の脳裏では平凡な議論なのでしたが、どうしても腑に落ちなくて一年近く悩んでいたのです。けはずす、とは京の都の平安貴族が蹴鞠(けまり)遊びをしてミスシュートする事を言います。平安貴族と飛騨を結びつけるものといえば平安京の造営に携わった飛騨工ですが、飛騨工が貴族に蹴鞠(けまり)遊びを教えてもらったのでしょうか。そんな事は断じてありません。忙しくこき使われていた大工さん達は貴族の蹴鞠を見た事すら無かったのではないでしょうか。
室町時代に姉小路家綱が建武中興の御旗に従い南朝より飛騨国司として赴任しました。古川町の小島城を居城としました。ここで蹴鞠遊びがあったのでしょうか。実は江戸時代、ついに太平の世となり、金森長近が高山に築城し、高山の町を開き、飛騨の国を治めました。この金森長近が実は大の蹴鞠好きだったのです。勿論、相当の腕前でもあり、好きこそ物の上手なれ。城内でお昼休みは毎日、家臣と蹴鞠をしていたのでしょうね。あるいはそれに飽き足らない殿様は城下で、蹴鞠大会を民に披露した事も考えられます。殿様以外のプレイヤーは時々はわざとミスシュートする、つまりヨイショです、そして、あらあげばいた、と言うのです。
このように江戸時代の初めに高山城下では、失敗する事を誰もがげばす、と言うようになったのでしょう。殿様も、殿様とプレーした人も、それを見ていた人達も。高山で一旦、げばす、という動詞が発生するとそれが飛騨全域に広まる事は容易に想像できます。また既に四百年も前の事、誰がこんな事を想像できましょうか。佐七はかってにそんな時代があったのであろうと想像しています。
飛騨出身の皆様へ、蹴鞠狂いの金森長近をゆめゆめ笑う事なかれ、平和の象徴です。長近は人生の大半を戦いに明け暮れたのです。また高山市民の皆様へ、高山祭りも結構ですが、蹴鞠大会も開催なさってはいかがでしょう。だって小京都でしょ。蹴鞠くらいができなくて恥ずかしくないですか。さて長近は晩年には京都へ遊びに行く事が多かったようです。蹴鞠をした可能性は大ですね。蹴鞠を買って高山への土産とした可能性もありましょう。そんな金森長近であれば、私には彼という人間が理解できます。末筆ながら筆者なりに一年近く、げばす、という動詞を考えて調査して来ましたが、歴史的観点からも、蹴外すが語源としてピタリとはまっている、と佐七は主張します。