大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
きもい(=窮屈な) |
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私:「きもい」と言えば若者言葉で俗語、意味は「気持ちが悪い」が相場であろうが、飛騨方言では靴が窮屈である事とか、物がぎっしりと詰まって出し入れが不自由であるとか、要は事物が込み合っていている事が不愉快である、という限定の意味で用いられるね。 君:鞄がキモイ、と言えば鞄に物が詰まり過ぎているという意味ね。ギア方言じゃないかしら。岐阜愛知の共通方言。 私:そうだね。語源が気になり、各種の辞典を片っ端から調べてみたが、実は記載無し。ただし篠崎晃一著「東京のきつねが大阪でたぬきにばける誤解されやすい方言小辞典」三省堂に・・江戸時代後期の文献に「狭く窮屈である」と言う意味の用例がある・・との記載を発見し、一応は近世語という事のようだが。 君:だが、とは歯切れの悪い言い方ね。 私:えっ、わかるかい。 君:国語教師をなめないで。国語の問題は全て解答が本文に書かれている。あなたは各種の辞典を調べたが記載が無かった、とお書きじゃないの。つまりは角川古語大辞典、日本方言大辞典、言海、講談社江戸語大辞典その他、どこにも「きもい・きもし」はおろか、それに近い表記の言葉が見つからなかったという事なのでしょ。 私:その通りだ。元の意味が「窮屈な」だから共通の音韻としては「き」だ。従って視野としては、キウ、キフ、キユウ、キヤウ、キヨウ、ケウ、ケフ、以上の七つだろう。該当無しだった。 君:一つの考えとしては「きもい」が近世語として現代に残り、若者言葉として復活したものの意味が変化した、という事よね。 私:そう。SNSを介して全国語の若者言葉になったが、近世語「きもい」はギア方言として生きているという事。つまりは岐阜愛知では「きもい」の方言量は1だか意味は2。古い世代は「窮屈な」の意味で用い、若者は「気持ちが悪い」という意味で用いているという事か。但し、窮屈という音韻から「きもい」という音韻に変化したのでは、と考えるには相当の無理がある。 君:「窮屈」は漢語でしょ。 私:おっ、鋭いね。その辺は調べたよ。表記は「キユウクツ」、文法的には三品詞。★名詞ないし★サ変動詞語幹及び★ナリ活用の形容動詞だ。現代語に通じる事は書くまでも無い。太平記あたりの文献からが多い、つまり室町。日葡にも当然、記載がある。Qiucut だ。 君:へえ、音韻としては「キウクツ」だったのね。 私:そう。連母音の二重母音化とでも理解すればいいだろう。金沢大学の高山知明先生は拗音に見る非対称性と表現しておられる。 君:非対称性は一方向性という事ね。 私:そう。連母音が二重母音・拗音になる事はあるけれど、その逆は有り得ない。 君:ほほほ、ケウ、ケフは徒労だったわね。流石に「ケ」は「キ」にはならないわよ。 私:そりゃそうだな。どうして僕は後から言われて気が付く人間になってしまったのだろう。 君:後からじゃなくて、初めからなのよ。 私:まあ、そのほうが正確な人物評価かも知れない。でも「キユウクツ」から「キモイ」へ、どうしても音韻は結びつかないよね。意味は同じだが。 君:「キモチ」から「キモイ」の音韻変化はどうなの。 私:おっと、そうこなくっちゃ。「気持ち」っていつからの言葉? 君:・・・ほほほ、わかったわ。古語には無いわ。古語にあるのは「き気・きも肝・ここち心地」。つまりは「気持ち」は近世語ですらないとすれば、なんと近代語か現代語ね。 私:実はその通りなんだよ。「ここち心地」は竹取にも出て来る和語。古語の最重要単語だが、「気持ち」は明治の言海にすら記載が無い。ただし大言海に「気持ち(=心地)」の記載がある。つまりは「気持ち」は昭和、しかも戦後の言葉。 君:あら、なんと近世語「きもい」があって、昭和に一般名詞「気持ち」が出現したという事ね。 私:まさにそう。驚くべき事実の発見だ。つい先ほどまで君も僕も知らなかった事なのだから。多分、日本初の情報発信か、今夜も方言の神様にお会いできた。今の僕の気持ちを一言で、君を抱きしめたい。夢見心地だ。おじんギャグ。 君:きもいわね。ほほほ、おばんギャグの逆襲よ。では結論をどうぞ。 私:そもそもが近世語として形ク「きもい」が存在した。これは心の有りようを示す言葉で、要は不愉快。「気持ちが悪い」の短呼化と考えるのは民間語源、つまりはどう考えてみても学問的には誤りだ。真相はと言えば、昭和に「きも肝・ここち心地」の連想から「きもち気持ち」という言葉が突然に出来た。ところがその一方で近世語たる形ク「きもい」は現代語に生きている言葉。あるいは形ク「きもい」と名詞「きも・ここち」、これら三品詞の連関から新名詞「きもち」が出来たという事が真相に近いね。当然ながら直ちに「気持」の当て字も決定した。幻の当て字「肝地」は不合格になったという事。 君:ほほほ、連母音の二重母音化も、拗音に見る非対称性も関係なかったわね。道理で「キユウクツ」という5モーラの音韻と「キモイ」という3モーラの音韻に関連性が無かったわけだわ。更に簡単にひと言、語誌的には近世語「きもい」と現代語「きもち」は無関係よ。ほほほ |
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