大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

女房詞

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私:女房といえば宮中に使える女官と同意語で、平安時代からの女性の憧れの仕事だったんだよね。
君:憧れはともかく、名誉であるし、血脈も必要ね。
私:平安にスタートし、それは現在も続く職業。但し、宮中の口頭語・女房詞の完成は室町あたりという事でよさそうだ。
君:その女房詞を飛騨方言の江戸時代のコーナーで語り始めた意図をまずはご説明なさいませ。
私:うん。まず常識的な一般論としては、飛騨の庶民の言葉と宮中の女官にはなんら関連性は無い。但し飛騨方言に女房詞の幾つかの語彙が残るのは事実。長年、疑問に思っていた。
君:案外、明治時代からかもしれないわよ。時の政府の国語政策。現代語「おいしい」は形ク「いし美」に「お」がついた女房詞よ。
私:うん、それにもうひとつ有名な話としては、「おいしい」は江戸時代辺りには庶民の言葉になったが、使ったのは女性だけ。男は使わなかった。ついでに、江戸語辞典には記載されているが、上方語辞典には無い。花のお江戸で使われていて明治になり全国版となった形容詞だろう。
君:でも宮中の言葉が江戸で流行ったという点は合点がいかないわよ。
私:おっしゃる通りだ。女房詞なら、まずは畿内方言として流布し、全国に広まったのでは、と考えるのが素直。
君:方言周圏論ね。
私:ここでもうひとつの話題提供。実は江戸時代にもSNSがあった。何でしょう?
君:元禄文化に代表される大衆文化ね。
私:その通り。具体的には出版物。「婦人養草(梅塢散人,1691)」、慶応大学がデジタル化し公開している。他には「女重宝記(苗村丈伯,1692)」、こちらは奈良女子大学。Handbooks for Women という訳だ。
君:江戸時代も結構、便利な世の中だったのね。
私:蛇足ながら翌年に出版されたのが Handbook for Men 「男重宝記(艸田子三(同一人物),1693)」、こちらは江戸東京博物館。勿論、同書は女房詞は関係ない。
君:男重宝記に「おいしい」の記載は無さそうね。ほほほ
私:推して知るべし、親父ギャグ、ってのだね。つまりは元禄文化で「女性かくあるべし」という庶民向けの本が当時のベストセラーになった。女房詞が急速に江戸の女性に広まったのはこのようなカラクリに依る。
君:上品な言い方だし、それに言いやすいし、という事があるのじゃないかしら。
私:うん。形ク「いし」だが、語源はどうも「いみじ」らしい。「いつし」を経て「いしい」になったが、「おいし」の方が確かに言いやすいね。
君:連母音融合では「おい」はやがて「おー」になりそうね。でも現代語でも流石に「おーしい」とはなっていないわね。
私:「おしい惜」との同音衝突を嫌うのかな。取り留めのない話だ。戻そう。平安に始まり室町辺りで完成した女房詞。江戸語として女性の庶民語となる。全国の方言に女房詞が残るのは、実は元禄文化がルーツ。
君:そこで出てくるのが左七君の得意論理。飛騨は天領、江戸文化がストレートに輸入されたから女房詞が残っているのでは、という事ね。
私:そこまで言っていいものかな。案外、明治時代からかも。近世以前の飛騨方言については何も資料が無いに等しいので実証する術(すべ)がない。
君:やはり高山は名前が小京都であっても宮中に使える女官とは関係なかったわね。ほほほ
私:続いては逆引き辞典で「おいしい」の方言量を調査した。なんと1。つまり「おいしい」には方言が無い!
君:ほほほ、それは、惜しいお話ではなく、美味しいお話ね。

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