築島裕著・国語学、にアクセントの歴史の章があり、まとまった
内容となっています。
平安時代末期の金光明最勝王経音義・類聚名義抄、
室町時代の補忙記などを対象とした研究があり、
両時代の京都のアクセントが体系的に明らかに
された事、他に金田一春彦氏の観智院本類聚名義抄の研究、
小松英雄氏の図書寮本類聚名義抄の研究、などの
代表的な仕事があるそうです。
難しい話になってしまいましたが、つまりは複数の説があり、
ただし京都のアクセントを論じた研究であり、つまりは京都以外の事については
皆目見当もつかない、という事のようです。
また同じ京都という町で平安時代から室町時代にかけて
アクセントが変化してしまったらしい、のです。
また一方、平曲・声明などの語物・謡物で過去のアクセントを
伝承反映しているらしいものもありますね。
また節博士(ふしはかせ)という記号がありますが、
仏教の声明に用いられたもので、高い低いを記しています。
これらの研究によるとやはり京都のアクセントを
記したものであるようです。
仏教が地方に広まるために節が違ってしまってはまずい、
という事で作られたのでしょうね。当時の地方、畢竟飛騨、の
アクセントはやはり京都とかなり異なっていた事が
考えられます。
私事で恐縮ですが、隅田川・真宗和讃考
真宗和讃にも節博士があるのですが、現代人が実はその通りに発音しない事も
多いのです。書き言葉と話し言葉の乖離という事をつくづく
考えさせられます。
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