大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

隅田川・真宗和讃考。室町時代の飛騨方言の音韻体系

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故・金田一春彦先生著・平曲考、は残念ながら絶版、 古書探ししかありません。 平家琵琶の語りから平安時代の音韻体系を論じた書という事で、 うーん、読んでみたいという気がします。

ところで小生が37年前の高校生一年の時でした、 ある日の古典の授業を今でもよく思い出します。先生が、
"今から皆に室町時代の人々の言葉を聞かせてあげよう。 今日から学ぶ能・隅田川の音声である。 今日も授業は忙しい。時間もないから聞かせるのは一回だけ。 心して聞くように。"
とおっしゃって、LPレコードを回したのです。
こーれーはーすーみーだぁーがーぅあーのーおぅ わたしもーりーにてそうろう。 こーんにったあ、ふーねーをーいそぎぃー(違いましたっけ?)
という言い回しに佐七もびっくり、 現代語とかくもかけ離れた室町時代の言い回しとは。 しかもテープレコーダも無かった時代の音声が よくまあ解読できたものだなあ、と、 当時純情無垢であった私は思ったのでした。

今思えば、実は先生は当時市販されていた 能の録音LPを聞かせてくださっただけの事でした。 見事にやられました(失礼)。 尤も、伝統芸の言い回しは幾世紀を経ても厳格に伝承されて来たに 違いない、と信ずる限りは現代の能・狂言の音韻は室町時代の音韻なのでしょう。

残念ながら記録に残る音声資料というものは江戸時代以前のものは ゼロ、従って実証できないのです。 日本の中世以前のアクセントとは畢竟、金田一先生の仮説、平曲考という事でしょう。 さて平家琵琶のような伝統芸はいざ知らず、 私事で恐縮ですが室町時代の和讃浄土真宗・正信偈が地方により随分と節が異なる事を感じます。 結婚して血縁が東海地方に広まったのですが、 偶然にも同じ宗派である事から 御仏のおかげで気づかされたのです( Thank you. )。 自らが気づいたのではありません。

また仏典の記載は未来永劫に変化するべくもありませんが、 和讃の読みはあるいは更に分化するでしょうし(うふふ)、 ヒトの顎は小さくなりつつあります。 何十世紀もの後に人類がまだ生きていたとしたら、 我々と同じに発音が出来なくなる可能性があります。 まとめは以下に。
まとめ
(突然話が変わって)モナリザやベートーベンの肖像を コンピュータで解析し、彼らの言葉を 現代の世に聞かせよう、というお遊びが最近、流行っている。 私はその声を絶対に信じません。 モナリザは実は声美人だったかもしれないし、 声美人でなかったのかもしれないもの。 (イッヒハイセサシーチ、うふふ。)

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