大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 古代

形動タリ・形動ナリ

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私:形容動詞は奈良時代には存在しなかったと聞いたのだが。
君:そうね。奈良時代の書物と言えば、古事記、日本書紀、宣命書、万葉集、その他だけど。
私:という事は形容動詞は平安時代に発明されて、現代に至るというわけかな。
君:当たらずと言えども遠からず。まず出来たのがナリ活用で奈良末期から。タリ活用は明らかに平安時代から。
私:たしか、ナリ活用は副詞句+「に」+「あり」、そしてタリ活用は体言+「と」+「あり」、の仕組みで出来た言葉だっけ。
君:そうね。副詞句も結局は体言という事なので、体言+格助詞「に・と」+自ラ変「あり」、の言い方が定着して形容動詞が出来たのだわ。
私:格助詞「に」、格助詞「と」、自ラ変「あり」、この三者ともに奈良時代からのパーツだね、にあり>なり、と、とあり>たり、の変化つまりは3モーラから2モーラへの変化は短い期間に突然に生じたという事なのだろうね。
君:ええ。
私:問題は「に」と「と」の違いだが、これが何ともはや、何度、古語辞典を読み返してもその差が釈然としないね。そもそも「に」は、場所、時、動作の帰着点、動作の方向、動作の結果、変化の結果、動作の目的、原因、理由、動作の源、動作の目標、資格、手段、方法、動作の対象。動作のよりどころ、比較の基準、比況、場合、状況、添加、主語の暗示、・・ざっとこんな感じで、つまりはなんにでも使えそうな格助詞だね。その一方、「と」は、共同の意、動作の相手、比較の基準、引用、等々、と、これまたとりとめない。
君:ほほほ、そんな比較をしても何の意味もないわ。要は「たり」という言葉と「なり」という言葉が出来たのだから、「と」「に」とは別次元の話なのよ。それにタリ活用の種類としては、接続「て」+「あり」もあれば、完了・過去「つ」+「あり」、もあるのだし。
私:なるほど。「たり」は専ら断定の意味で、漢文訓読文に用いられ、和文には用いられない、との記載がある。一方、「なり」は断定・所在・推定・伝聞など多くの意味を包含し、割合とファジーな感じで主に和文に用いる。そもそもが奈良の終わり辺りから「なり」があったところに平安に「たり」が加わるという事のようだから、専らとしては「たり」がどっと輸入された漢語に接続し、鎌倉武士が漢字を組み合わせにより新しい日本語を発明したあたりも「たり」が日本語風漢語に接続して、戦前まで文語に残ってきたというような事かな。
君:そうね。
私:簡単にいうと「たり」は男らしい言い方で書き言葉、「なり」は女らしい言い方で、専ら和文というわけかな。
君:それは極論だわよ。
私:でも、こんな資料もある。古典用言単語帳 −源氏物語版−。源氏物語の延べ語数は約二十万語で、異なり語数では約一万語の大作だが、形動タリは一切、出てこない。ただし形動ナリは103個。つまりはこの時代(1008年)に形動タリがまだ出現していなかったというのではなく、古今や竹取、つまりは平安前期の作品に既に出てくるから、紫式部は敢えてタリ活用を用いなかった、という事なのじゃないだろうか。
君:ええ。
私:源氏物語のこの103個のナリ活用だが、適当な漢語を見つけて、これをタリ活用に変換する事も可能だと思うのだけど。例えば67番の「たまさかなり」は「偶然タリ」。
君:彼女は漢語の知識も相当の才女だったのだけど、あえてタリ活用を用いない、というお遊びをしたのよね。
私:雅な王朝文学には、やはり和語で「なり」活用でなくては、という美意識の現れなのだろうね。
君:漢文がスラスラの才女だったけど、当時の風潮としては、女が漢語など学ぶべきではない、という事だったので女官として任務に忠実だったかららしいわね。
私:そこで出てくるのが紫式部の陰キャ説。対して清少納言はセレブ女、出しゃばり女で陽キャ。結婚するなら陰キャの紫式部か、陽キャの清少納言、どっちなんていう人気投票をネットでやっている。
君:ほほほ、あなたならどちらの女性なの?
私:断然、紫式部だね。陰キャはともかく、結婚は控えめな女性でなきゃね。ただし遊び相手としては清少納言のほうが人気がある。世の男性のお考えは、恋人なら清少納言、妻なら紫式部。
君:今日のお話は方言が出てこない。しっかりしなさいよ。
私:清少納言みたいな言い方だね。今日の話題は、そもそもがどうして形容動詞などというものが発明されたのか、という日本語の謎に迫りたいという事なのだけど。
君:形容詞の不足を補うために発明されたのよ。「をかし」という形容詞があって、対象を客観的に把握する気持ちの表れで「興味がある」と訳す一方、「あはれ」つまりは対象に強く感動する気持ちという名詞を「情緒深い」という意味の形容詞にしたいと思い、体言+「なり」、つまりは「あはれなり」が成立、そうする事によって体言から無尽蔵に形容動詞を作る事かできるようになったのよ。それにかなりの形容詞ですら形容動詞にする事も出来るのよ。「うつくし」「うつくしげなり」。特に漢語という体言でのオンパレードが形動タリ・文語文という訳ね。タリで文語に花が咲き、ナリで口語に花が咲いたというところかしら。
私:上記サイトの形動ナリには動詞から派生した言葉も多いね。しのぶ(26)・めづ(26)・さかる(45)・おもふ(65)、等々。きりが無い。大量にある。
君:そうね。「なり」を「じゃ」に変換すれば中世飛騨方言に、「や」に変換すれば現代の飛騨方言になるわよ。
私:どれどれ、「さすがや(4)」、いきなりトップ4番目が飛騨方言に変換出来たぞ。後は推して知るべしだな。さすがやなぁ、王朝文学も現代飛騨方言もなんら変わらないんやで。どいんじゃ?(=どういうことですか)
君:ほほほ、あなたの得意理論、飛騨工がせっせと平安京の都から故里・飛騨へ言葉を運んだかもしれないのでしょ。
私:飛騨方言は文法が畿内方言の文法であるのが特徴という事なのだけど、語彙も都から飛騨へと大量に雪崩れ込んだ可能性が高いね。
君:いと/をかしう/いと/をかしげなり。音便も直輸入されているわね。
私:方言愛好家にはサ行イ音便が大好きでたまらないという人が多いね。
君:あはれなる/いかなる/ことなる/さすがなる/サ行イ音便/いと/をかしげなり。
私:をこなり(103)。ばかかよ。しっかりしろ。
君:全国アホ・バカ分布考ね。実に痛快な本だわ、痛快タリ(清少納言)。こころうれし(紫式部)。

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