大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

縄文期飛騨方言・沢/弥生期飛騨方言・谷

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縄文時代の飛騨方言 にネット記事・日本列島における地形用語としての谷と沢の分布 を紹介しました。また当サイトに旧高山市以外の飛騨の全ての地名の統計を 飛騨地方のおおあざ・こあざ物語 として紹介しています。 結果を抜粋します。
小豆沢    アズキザワ
中沢上    ナカソウレ
中沢上    ナカゾレ
祢宜ケ沢上ネガソレ

赤谷      アカダニ
芦谷      アシタニ
井谷      イダニ
岩井谷    イワイダニ
岩井谷    イワイタニ
大谷      オオタニ
大谷      オオタニ
大谷      オオタニ
桐谷      キリダニ
黒谷      クロダニ
小谷      コダニ
小谷      コダニ
三谷      サンダニ
巣納谷    スノダニ
谷        タニ
谷        タニ
戸谷      トダニ
楢谷      ナラダニ
三ツ谷    ミツダニ
つまり飛騨においては図を実証する如く、地名は圧倒的に谷優位です。

以上から明らかな点(でもないかな)がいくつかあります。
  1. 飛騨地方には沢の地名が殆ど無い所から、弥生時代に飛騨では縄文人が弥生人に駆逐されてしまった。
  2. 縄文人は飛騨の平野部から駆逐されたとは言え、飛騨の平野を支配した弥生人に 同化したのかもしれないし、飛騨で沢の地名の付く地域へ追い詰められたのかも知れない。
  3. がしかし飛騨山脈を山越えして長野方面に逃げ延びた可能性はほとんどない。 どうですか、上記の地図の東西境界線の鮮やかな事。 現代の東西方言境界にぴたりと一致します。
  4. 沢上をソレと呼ぶ事こそ、縄文期飛騨方言であった可能性がある。
  5. 谷をダニと濁音で呼ぶ傾向が弥生期飛騨方言にあったのかもしれない。
  6. 飛騨の現代人は大半が実は弥生人の末裔であろう。 がしかし、小豆沢、中沢上、祢宜ケ沢上の三部落に代々住んでいた方々は 縄文人の末裔の可能性がある。
  7. 飛騨の古代方言は弥生人の言語感覚によって形成された可能性が高い。
ところで私って、肌は黒いし、ひげは濃いし、今まで ずうっと縄文人だと思っていました。実は私の村にも 隣の村にも畑には縄文土器がウジャウジャあったのです。 堂之上遺跡もすぐ近くです。 でも、小谷などという地名もすぐ近くにありますし、佐七はこれはどうも縄文人の後から飛騨にやって来た弥生人の子孫らしいですね。

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