大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 古代 |
上代東国方言 |
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別稿・否定の助動詞「なふ」「ぬ」にお書きした通りですが、飛騨方言は東京アクセント+畿内方言文法及び語彙という特徴があるようです。日本語の方言としてはマイナーな部類に属し、研究者も少なく、従って飛騨方言に関する学術書も皆無に近く、出版されたものの多くは語彙集の延長に近く、近世以後の飛騨方言の変遷の理解には大いに役立ちますが、中世以前、あるいはもっと古い時代の飛騨方言に至っては学術書が一切、無い状態です。ただし、飛騨工が奈良のことばを数世紀に渡ってせっせと地元に持ち込んできてくださったおかげで、畿内方言文法及び語彙の知識を基になんとか飛騨方言一千年余の歴史の解明を試みようとしている筆者です。 ところで、早速に本日のテーマですが、飛騨の東京アクセントって、若しかしたら上代東国方言(じょうだいとうごくほうげん)がルーツなのでしょうかね。或いは日琉祖語が東京アクセントで日本全体を覆っていたところへ、畿内に大和朝廷が出来て畿内アクセントが確立されて、これが方言周圏論的に滋賀県・三重県辺りまで浸透してきたという事なのでしょうか。 そもそもが日本語のアクセントというものが、千五百年もの昔に東西対立があって、今日の東京語と大阪方言に受け継がれているのでは、と考える事が如何にも荒唐無稽な考え方とも言えます。ただし、東京語で用いられる否定の助動詞「?ない」が上代東国方言「なふ」に由来するのですから、上代東国アクセントが現代の東京アクセントのご先祖様と考えても、さもありなん、とも考えられます。まずは資料ですが、早速に幾つか見つかりました。 ★日本祖語の母音体系―上代東国方言資料による再構 ― ★おまつのブログ 上代東国方言の連体形 ★おまつのブログ 上代日本語の動詞活用形の起源 Ver. 3 (ファイナル版) さて、52歳、つまり14年前までの私ですが、思いはひとつでした。医者が医学以外の道楽にはまったら医者としておしまい。ひと様の命を預かる仕事である以上は、全生涯を医学に捧げるべき。それでも、やはり医者も人間、息抜きは必要ですね。私は方言愛好家としては2005年、52歳の時からなので、極端なスロースターターです。然も3年坊主で、2008年末に当ウエブの更新を中断、2019年末に再開するまで11年のブランクすらあるのです。ただし実は筆を折った事は一度もありません。空白の11年は毎日、オートバイのブログや、英語の歌のブログを書いていたのでした。ユーチューブ発足当時に数年、ユーチューバの事も。オートバイからは何時か足を洗うでしょう。ただし飛騨方言と英語の歌は生涯、やっていけそうです。 |
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