大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム< |
近代語「でかい」 |
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私:昨晩は飛騨の俚言「でかい」が飛州志(享保13年、1728年)と柳多留5(明和7年、1770年)に記載されている事、従ってこの俚言が飛騨から江戸へ、江戸から全国へ広まった事をご紹介した。今夜の方言千一夜はこの言葉が更にどう発展したかをご紹介したい。 君:えっ、まだ書く事があるの? 私:うん、この際は全てを書いておこうと思う。近世語「でかい」の近世から近代への変化だ。 君:どうぞ、かってに。なんだかつまらなさそう。 私:と思われる読者の皆様は、ここで、お休みなさいませ。話は二本立てで、ひとつは飛騨の話、もう一つは東京の話。 君:では、飛騨からね。 私:うん。そもそもが大きいという意味では、江戸時代の初めまでは中央ではというか全国の言葉としては、形ク「いかし厳」と言っていたんだよ。実は飛騨でもそうだった。しかし、なんだか言葉にパンチが足りないな、という事で、飛州志以前のいつの時代かは知らないが、飛騨では「ど度」+「いかし厳」、つまりは「どいかし度厳」と言いはじめ、これが「でかし・でかい」になった。だがしかし、「でかい」がごく当たり前の言い方になってしまった。近代語として、やはり歴史は繰り返され、これでも言葉にパンチが足りない、という事になった。敬語の規則「敬意逓減の法則」に似ているね。そこで性懲りもなくもう一度、「ど」の接続詞が使われるようになった。つまり飛騨方言の近代語「どでかい(=ど・ど・いかし)」。そしてこれは現在でも使われている。 君:なるほどね。 私:そして江戸から明治にかけて、つまりは近世語・近代語の中央における変化だが、「でかい」が「いかい」に取って代わられたので、「いかい」は死語となった。ところがそもそもが、もうひとつ、形動ナリ「おほきなり大也」も用いられていた。但し後者は5モーラ、つまりは長すぎる言葉、当然ながら口語としては嫌われる。それでも、これの連用形「おほきに」は4モーラであるし、副詞として使用できる。これは便利だ、という事で、上方でも江戸でも副「おほきに」が用いられるようになった。江戸っ子も「おほきなお世話でぃ」というようになった辺りから、「大きいお世話」つまりは形容動詞から形容詞への品詞の転成という一大事件があって、形ク「おおきい」が生まれた。そして現代に至り、「おおきい・でかい」が中央では使われている。 君:なるほどね。近代に東京文化が飛騨へ押し寄せ、飛騨では「どでかい・でかい・おおきい」の三語の語彙体系になったのかしらね。 私:まあ、そんなところだろう。ところで、以上のお話は江戸・東京でおきた現象の半分にすぎない。 君:えっ、まだあるの? 私:ああ、あるとも。繰り返しになるが、江戸では「いかし」が死語になった。ところが実はこれに乗じて《のさばって》きた言葉があるんだ。 君:のさばってきた? 私:名「いかつ厳」と形動ナリ「いかつなり厳也」。意味は「荒々しい、粗暴、威圧的」。蛇足ながら「いかし」は単に物が大きいという意味であり、「いかつなり厳也」のような意味はない。ヒントは品詞の転成。 君:ほほほ、そこまでのヒントがあれば誰だってわかるわよ。「おほきなり・おおきい」と同じで「いかつなり・いかつい」という事で意味はそのままで形動ナリが形容詞に転成したのね。前者は現代語としては死語だけれど、「いかつい」は現役の言葉だわ。 私:その通り。「いかつい」は前田勇「江戸語大辞典」には記載が無く、言海に記載がある。これも本邦初公開の情報だろう、つまり「いかつい」は明治の初めに東京で生まれた言葉、という事がわかる。今日の結論としては、人は音韻については統一性、例えば「なり(形動ナリ活用部分)-->い(形ク活用部分)」、を好む。こうやって新しい品詞が生まれていく。万国共通。これを発見した言語学者の名をとって「パウルの公式」と呼ばれている。 君:なるほどね。「どでかい」のついでに「ばかでかい」などという言葉もあるわね。モーラがどんどん増えるばかりで馬鹿々々しい上に、上品な言い方とは到底、言い難いわね。私なら絶対に口にしないわ。今回だけよ。ほほほ |
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