大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 近世

江戸時代の飛騨方言・でかい(2)

戻る

私:今夜の方言千一夜は形ク「でかい」に再び登場願おう。
君:初めての読者の皆様に、まずは「でかい」を一言で説明してね。
私:うん。或るひとつの方言語彙がバカ受けして、日本国民全員が使うようになる事だってあるだろう。飛騨方言「でかい」は元々は江戸時代までの飛騨の俚言だったが、これが第一段階として江戸でバカ受けした。次なる段階としては、遂に江戸時代に全国制覇をした純粋な飛騨の言葉なんだ。
君:文献にあるのよね。
私:飛騨は江戸時代は天領、飛州志に日本で最初に「でかい」の記載がある。
君:長谷川忠崇が江戸に飛騨の言葉「でかい」を持ち帰った事はわかるけど、それがどうして全国に広まったのか、その糸口を見つけた、と今夜はおっしゃりたいんでしょ。
私:その通り。推察は可能だが、裏付け資料が欲しかった左七。
君:結論は?
私:前田勇「江戸語大辞典」昭和49年第一刷。昨日、手に入れた。形ク「でかい」、大きい。明和7年・柳多留5「でかいがと藪入りの供茶をしたみ」(茶碗酒)。
君:川柳ね。その心は?
私:藪入りとくればお墓参りかな。奉公人の年に一度の楽しみ、大きな茶碗酒を一杯、という意味でしょ。若し違っていたらゴメンネ。
君:なるほど本日の結論、江戸の川柳に使われるようになった飛騨の言葉「でかい」。これはもう、当時の共通語・標準語・中央の言葉・江戸庶民の言葉、という意味よね。
私:要はそういう事。もうひとつ、大切な点がある。72年の歳月。
君:72年?
私:飛州志が享保13年(1728年)、そして柳多留5が明和7年(1770年)。72年の歳月が流れている。お江戸八百屋町に「でかい」が広まるにしても、それなりの時間を要したという事。
君:なるほどね。日本人の誰も気づいていない事よね。飽くことなき左七の執念の勝利。
私:日本初の情報発信であろうと直感している。さて江戸時代と言えば、江戸の城下で言葉が伝わるにしても人から人へという事。柳多留を読んだのはごく一部の知識人。江戸の流行語が地方に伝搬するのも、さらに時間がかかったという事だね。明和7年(1770年)から明治元年(1868)までは実は百年以下だったが、全国には瞬く間に広まったという事だと思う。
君:イェーイ、飛騨方言の全国制覇。左七、おめでとう。
私:素直にうれしい。以上のような発見があったとて、一銭の得にもならないが、楽しい事だけは確かだ。
君:それに、郷土の言葉を愛するという事は大切だわよ。ほほほ

ページ先頭に戻る