大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

てんで(に)・副詞句

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私:昨日は当サイト語源コーナーに「てんで」の語源をご紹介し、思わず興奮してしまった。
君:ほほほ、方言とは地方の言葉遣い、共通語とは中央での言葉遣い、同じ言葉でも中央での意味か変われば一方の変わらなかった地方の言葉はその時点で正に方言となる、という意味で、「てんで」の意味が中央で変化したのは戦後、1960年頃、つまりは極めて最近である、言い換えれば「てんで・各々」が方言に昇格したのは60年前という事実ね。
私:そうだ。「てんで」は60年前、君が生まれた頃に中央で「各々で」の意味から「全く」の意味でしかも否定文に接続するだけの副詞句となった。ソシュール学説が僕に教える。言語というものは畢竟、単語の連続で、単語は必ず意味・表象で対を成す。意味を言葉のシニフィエといい、表象をシニフィアンという。「てんでに」のシニフィアンは「手に手に」だが、平家の出典にある如く、平安末期に「てんで」のシニフィアンが出来て、それは一千年を経た現在まで変わらない。方言学といえば変化せぬシニフィエに対して変化し続けるシニフィアンを追及する学問と言ってもよいが、案の定、変化せぬシニフィエであるし、シニフィアンすら全国各地で「てんで」であり、わずかに「てんでこ・岩手」「てんでっこ・静岡」程度に変化したのみ。ところが、一千年も続いたシニフィエ「各々」が突然に60年ほど前に「全く」へと豹変してしまった。長い国語の歴史の中て、突然の変化だ。
君:じゃあ、今日はなんのお話をなさるつもり?
私:「各々で」の意味から、よりによって「全く」の意味に変化した仕組みを考えてみたいのだよ。うまく説明できる理論を思いついた。
君:ほほほ、今日の物書きは簡単ね。要はあなたの妄想。普段は辞書に囲まれて書いていらっしゃるのでしょ?
私:ははは、その通り。そうだな、ざっと数十冊の辞書が必要になる。本日は一冊も開いていない。
君:ほほほ。一日で得た結論からどうぞ。
私:ほいきた、早速。英語に書くとよくわかる。「各々で」は in each way,「全く」は not at all。つまりシニフィエの変化は"each" to "all" という事だ。数学の集合論で話せば、部分集合を問題にするのか、全体集合なのか、という問題に演繹される。
君:あなたは英数国がいつも百点だった訳で、前頭葉がそういう仕組みなのね。
私:ははは、からかいなさんな。君の専門の国語で具体的に説明しよう。「てんで・各々」を用いて否定文を作ってみてごらん。ちなみに英語なら inclusive / exclusive の違いで、数学なら and/or の集合の違いだ。
君:そうね。「てんででなきゃ駄目」と言う事で、「各々」を推奨する否定文も作れるし、「てんでなので駄目」「てんでだから駄目」という「各々」を否定する否定文も作れるわね。ははあ、わかったわ。1960あたり中央での変化はシニフィアン「てんで」を用いて、シニフィエ「てんでなので・てんでだから」を使い始めたという事なのよね。英語なら exclusive 改め inclusive に意味を限定、数学的には「and 集合」を否定し (false) 、「or 集合」のみを真 (true)とする、という事なのよね。ほほほ
私:まあ、そんなところだ。容易に想像できる。副詞句の語幹(てんで・体言)に複合助詞(なので・だから)が内包されたシニフィエとなり意味が逆転したといってもよいほど変化してしまった、と僕は考える。君が僕と同様に三教科が、いや五教科かな、好きな事もよくよかった。ただし折角だから高校では習わない事を深堀りしよう。シニフィエ「てんでなので・てんでだから」を使い始めたのはどなた様でしょうか、という社会学的な問いかけが本当の命題なのだろうね。
君:国語学というよりは論理学・言語学・社会学ね。やはり、日本人全体、あるいは東京辺りの言い方の変化という事かしら。やがてそれが国語として認められ、マスコミで使われ、国語辞典にも掲載されるようになったという事のような気がするけれど。
私:おいおい、しっかりしろ。一千年も変化しなかったシニフィエ・シニフィアンが、戦後に突然、日本人全体でシニフィエを変化させる事など有り得ないだろう。僕の趣味は少ない事実から国語の真実を予想する事。
君:あらそうなの。敬意逓減の法則は日本人全体にかかわる方言学の現象でしょ。それに国語辞典の記載が変わったという事は、つまりは日本人全体の問題であって、つまりは辞書が武器のあなたは常に中央に味方して地方の言葉遣いを眺めていらっしゃるのよ。
私:うーん、なるほど。そうかもしれない。「てんで」は敬意逓減の法則が当てはまらないけれど、別の法則が働いたのか知れないね。意味突然変異の法則かな。まてよ、そもそもが意味変異の法則というものがあって、それは二種類ある。ひとつは意味の突然変異法則、他方はゆっくり変異法則。敬意逓減の法則はゆっくり変異法則のひとつだね。
君:月並みすぎる論理につき、どこかの言語学の成書に書かれている可能性が高いわよ。
私:そりゃそうだろう。たった今の思いつきを書いているのだから。せっかくだからジョークも考えた。これがなくっちゃこのサイトの存在意義がない。
君:おっと、そうきたのね。大歓迎だわよ。あなたの好きな落語の世界ね。
私:「まるで駄目」って言い方があるだろ。だから、ついでに「てんで駄目」ともいうようになったのかも。丸でも点でも駄目なものは駄目だ。
君:ほほほ、噺家さんのおつもりね。それを言うなら、王と玉。
私:ははは、てんで(点で)問題にならないのではなく、点こそ大問題の二つの漢字だな。
清少納言の君:残念、部分点ね。漢字問題につき、このような場合は「画竜点睛におもひなずらひ点を欠くやはたまた書くや如何」が正解よ。

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