大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

でかい、に取り付かれた男

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私:ひょうきんな題ですが、真面目に学問のお話です。
君:学問だから、実学と違い日常生活には役立たないわよ。
私:ははは、そうだ。ても、心が豊かになれる。
君:期待するわ。では、どうぞ。
私:方言だから俗語であり、文学ではない。文献がない。でも、勝手気ままに論じていたら、単なる落語。
君:なによ、その自信ありげな言い方。つまりは文献をお示しくださるのね。
私:ええ、当サイトのトップページ・不肖佐七辞書のコーナーの飛州志をお読みください。でかい、は江戸時代の飛騨方言です。また考察として歴史考察コーナーの江戸時代の章に、江戸時代の飛騨方言・でかい、を上梓しています。
君:へえ、・・なるほど、文献である故、江戸時代の飛騨方言であった事は間違いないわね。
私:最近ですが、言海、ちくま学芸文庫、明治三十七年版の復刻版を買った。
君:明治の国語辞典ね。つまりは、でかい、が収載されていたのよね。
私:いや、収載されていたのは「いかい」。いかい事、も収載されていました。でかい、は記載なし。
君:なんですって!!俗語とは言え共通語・でかい、は言海の発刊後の言葉というわけね!!つまりはなんと大正から昭和にかけての言葉という事ね!!
私:そう考えざるを得ません。筆者が持つ最も古い国語辞典は昭和四十四年の角川国語辞典。いまだに使っているが、でかい、は記載されてる。
君:昭和四十四年とは1969年、四十年ほど昔の辞書を大事に使っていらっしゃるとは。つまりは、大正あたりから戦後あたりまでの、でかい、という言葉の語史があなたには不明なのね。
私:まさにその通り。結論ですが、でかい、は近世の中部方言だったのでしょう。共通語・でかい、に成長するのは近代から現代にかけてなのだろうね。名古屋方言がマスコミの影響で全国に広まった結果ではないか、と推察する。江戸城中のくだりは佐七の作り話だ。
君:なるほど。説得力あるわ。でかい、に取り付かれた男とは、幕府直轄領・天領飛騨の代官・長谷川忠崇とザ・飛騨弁フォーラムの編集人、のお二人というわけね。素敵なお話ね。ほほほ

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