大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

乗鞍に初めて登った外国人、
飛騨中をはじめてテクテク歩いた外国人

当サイトは方言サイトゆえ、飛騨方言以外の事を書くのはご法度なのですが、方言の事を考えていると地名の事も考えてしまうし、山の名前、そう乗鞍については絶対に外せない。飛騨方言に関係していなくてもブログなら日記風に徒然なるままにお書きしましょう。

別稿ですが、日本人で初めて乗鞍登山をしたのは征夷大将軍・坂上田村麻呂。乗鞍という名前についての一考察の通りです。

むむ、それじゃあ外国人で初めて乗鞍登山したのは誰でしょう。www.h2.dion.ne.jp/~o-zone/ 飛騨の山里暮らし、に記載されていたのですが、英国人技師・ウイリアム・ガーランド、1877年、明治10年。実は、ばらしましょう。乗鞍の山岳写真の本がいくつか手元にありますが、ちゃあんと書かれているのですね。それを元にネット検索すると、とっくにお書きになっている方がいる、たったそれだけの事。

以上が前置きの前置き、いつもの佐七節です。ウイリアム・ガーランドっていうくらいだから、綴りはWilliam Garland でしょう。すぐネット検索すると、これまた、沢山の情報。洪水です。以上が前置きです。前座のガーランドさん、ご苦労様。

さて飛騨を最もよく理解して最も詳しく記載した外国人、それは明治の英国人外交官アーネスト・サトウ Ernest Sato ではないでしょうか。(以下は、中野谷康司・英国外交官サトウが見た明治の飛騨・ひだのあしあと、岐阜新聞社、から一部抜粋)
1878年7年17日、サトウは飛騨の山旅を計画して、東京を出発。神岡経由で30日に高山に入る。長瀬重兵衛宅で宿。翌日は丸一日を高山で過ごす。以後、最初で最後の飛騨への山旅を約一ヶ月かけて終える。つまりは産業革命を体験した英国人外交官サトウをも魅了した飛騨の山並みは飛騨観光の原点ともいえる。飛騨の山並みは、今日も素晴らしい。