大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム方言学<

方言区画論上の飛騨方言の歴史的観点からの一考察

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佐七:今日はざっと飛騨方言の歴史の話にするよ。楽しい話だぞ。
家内:ふふふ、おお張り切り、いい資料が見つかったのね。
佐七:そう。岩波講座日本語11方言。絶版かな。ネットの古本屋でみつけた。
家内:飛騨方言の話だけにしてね。
佐七:勿論だが。さて日本語の音韻は昔は沢山あったのに段々と減って終にイロハ48になった事を前に話したね。
家内:飛騨方言はピアノで沖縄音階ね。昔は母をパパといっていた、は知識の受け売りでしょ。でも沖縄音階には笑ったわ。
佐七:誉め殺しでも有難う。では、古代の日本語は音韻同様に、その方言区画は今より多かったと思うかい?
家内:飛躍したわよ。日本全体は今も昔も地理的に変わらないし、単一の言語・日本語である事も変わらないけれど、方言の観点からあえて日本語を区画してみると、という命題ね。昔のほうが少なかったと思うわ。
佐七:図星だ。本を読んでいない君がどうしてそんな事がわかったんだい。
家内:人類はかつてアフリカに生まれ世界に散らばり、人口を増やして言葉をあれこれ発明していったんですもの。古代の日本の人口は少なく、ひとつの言葉・古代日本語を話していたのじゃないかしら。つまりたった一個の方言区画から日本語がスタートしたのでしょ。バベルの神話は誰でも知ってるわ。
佐七:お見通しだね。じゃあ、岩波講座にしよう。飛騨方言は古代日本語だから九州方言と同じ方言区画だ。ここに文献の出現、あづま・東国。東国とは?
家内:ほほほ、飛騨方言は西国ね。飛騨山脈の東が東国ね。
佐七:その通りだ。またねえ、佐七が感激してしまう文献があるんだ。飛騨方言は日本一、この意味がわかるかい。
家内:言葉にお気をつけなさいませ。どなたも日本一をお持ちですから。
佐七:いや、すまん。忠告ありがとう。でもね、東大寺に残る資料に、東国・西国・西国の一方言である飛騨方言・外国語、などの記載があり、実は飛騨方言こそが日本の方言学のスタートだったのには驚いたよ。日本最古の方言が飛騨方言、これを僕は国民の皆様にアピールしたい。
家内:ほほほ、その言い方ならば満点よ。あなたらしいわ。
佐七:わざわざ東大寺の文献に残る理由はわかるよね。
家内:確かめようもないのじゃないかしら。では佐七節をどうぞ。
佐七:有難う、では。理由は私が思うに租庸調だ。飛騨は貧しい国だったので収めるものがない。租庸調を免除され、かわりに人足を出した。飛騨工だ。こんな国は飛騨しかなかった。つまり、当時、都に出てきた田舎人といえば飛騨人だけ。めでたく飛騨方言が日本語方言エントリー第一号だったんだよ。ははは。
家内:佐七節ね。岩波講座には書かれていないのよね。
佐七:図星だ。書かれていない。でも、僕は行間をそう読んだ。
家内:興味がある方は是非とも原本をお読みなさいませ・・という事ね。
佐七:まあね。いきなり終わりにしよう。どんどん方言区画が出来てしまって、その極期が江戸時代だ。各藩ごとに方言が出来てしまった。そして明治を迎える。あわてたのが明治政府。日本をまとめるつもりで出来た政府だからね。とにかく日本語がバラバラだ。ただちに政策を出した。特命の人が東条操先生。後の話は国語の教師なら知るべき平凡な話という事で。
家内:その結末は、今やインターネットの時代、日本に方言区画はなくなりつつある、という事かしら。
佐七:ははは、おっとどっこい。アクセント論など、一千年かかってもピクリとも動かない区画もある。まだまだ方言区画論は続くよ。井上史雄先生にでもいずれご登場していただくか。
家内:行間をお読みになって、楽しそうに話していらして、うらやましいわ。
佐七:有難う。最後に一言、都築通年雄先生という学者がいらっしゃる。実は萩原町のご出身だ。東条操先生の直弟子と言ってもいいだろう。東条の方言区画論は実際は都築の足と耳。
家内:都築先生は東条先生の女房役だったのね。わかるわ、その気持ち。だって、私、あなたの女房だもの。

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