大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 方言学<

標準語と共通語

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私:今日は標準語と共通語の違いについて。
君:あまり細かい事を書かないほうがいいわよ。
私:それもそうだが。初めに言葉ありき。In principio erat verbum.
君:ラテン語ね。
私:ああ、そうだ。『新約聖書』「ヨハネ伝」1章1節の言葉。人と人が正しく知り合うためには言葉が大切。僕の方言サイトもそんな気持ちで今まで15年ほど、コツコツと書いてきた。
君:ほほほ、10年のブランクがあるくせに。15年ほど、は嘘。15年前から、に書き改めるべきよ。コツコツだけは認めるわ。
私:ほめ殺しの言葉を有難う。初めに言葉、というのは医学をはじめ自然科学の世界に於いては学会が定める学術用語集を意味する。
君:という事は。
私:2019年に明解方言学辞典が刊行されたが、国語の学会の述語委員会が御定めになったものではなく、国立国語研究所が世に問う初版物。おやおや、と思う記載が幾つかある。また、残念ながら「標準語」の記載はあるが、「共通語」の記載が無いのは如何なものかと感ずる。
君:では、違いを簡単にお示ししてね。
私:「へうじゅん標準」は漢語。「きょうつう共通」とは大違い。
君:違う、って。ほほほ、フリガナね。標準は歴史的仮名遣い、その一方で共通は現代仮名遣い。
私:その通り。「標準」は古語辞典にあり、文例に出てくるのが正法眼蔵、つまりは道元、鎌倉時代。意味は現代語と同じ。
君:つまりは「共通」は戦後に生まれた言葉だから歴史的仮名遣いでは仮名を振りようが無いという事ね。
私:その通り、「共通(語)」は戦後に出来た言葉なんだ。戦前の国語学・方言学に「共通語」の概念は無い。戦前の国語学、より具体的には明治の文明開化から帝国政府は標準語教育を国是としていた。標準語とは東京山の手を中心とした改まった言葉遣いの事。
君:どうして戦後の国語教育は標準語教育と言わなくなったのか、佐七は先ほどそれに気づいたぞ、というお話ね。
私:ああ、気づいた。標準語といっても時代と共に変化していくし、東京山の手言葉だけが日本語じゃない、第一に話言葉たる方言というものは改まった言い方とは別の世界だ。
君:改まっていないと標準語じゃないのね。
私:その通り。「東京は日本の首都です。」は標準語だが、「東京ってさぁ、日本の首都なんだよネェ。」は共通語。
君:若しかして戦前は「東京は日本の首都なのであります。」が標準語だったのね。
私:その通り。それでも戦前の時代に「東京ってさ、日本の首都なんだよ。」と言えば大半の日本人に意味が通じただろ。
君:そうね。要は、日本人なら誰でも理解できる言葉でさえあれば、改まった言葉でなくともこれを定めて「共通語」と名付けましょう、という事で戦後に「共通語」の言葉が出来たのね。
私:大方はそんなところだろうな。僕が先ほど気づいたのはその事だ。「共通」は現代仮名遣いしかない事も。ところで現代の方言学においては「方言を共通語訳」するのが一般、「標準語」の言葉は使わないのが一般。ただし、「東京は日本の首都です。」は日本人なら誰でも理解できるので、標準語は共通語の一部分、共通語は広義の標準語、標準語は狭義の共通語、というような言葉遊びが出来なくもない。一般的には戦後において国語学・方言学の世界では共通語という新語が述語としては標準となった。
君:実は共通語が標準。うまい、座布団一枚ね。
私:大半の国語学者が共通語という言葉を選択するが、実はごく一部の学者様は標準語という言葉をお使いになる。国語学においてはやがて将来は「標準語」は死語になるのだろう。
君:ほほほ、だから貴方は国研の「明解方言学辞典」に「標準語」の語彙が忖度したかのように採用されているけれど「共通語」が無いのが不思議で仕方ないのね。
私:そんな事をあからさまに言うものじゃない。僕が今日のこの記事を書こうか、書くまいか、どれだけ悩んだか、君はわかっているのか?
君: You are saying "Read between the lines."
私:それもまたあからさまな表現だ(explicit, and not implicit expression)。ところで「標準語」ではなく「共通語」を用いると、とても便利な事がある。
君:あら、何かしら。
私:実は「共通語」には二通りあって、「全国共通語」と「地域共通語」。ところが標準語の意味するところは全国に共通する模範的な言い方という意味で、「地域標準語」という言葉はない。ぶふっ
君:全国に共通するのが標準語、ほほほ、これも佐七にやられたわ、座布団一枚ね。「地域共通語」って若しかしたら名古屋でも岐阜市でも高山市でも通じる「誰それ様が〜してみえます」という尊敬表現の事よね。
私:その通り。東京や大阪の人には「〜してみえる」は通じないかもしれないが、愛知県と岐阜県では立派に通じるのだから実は地域共通語なんだ。東京の人から、変な言い方ですね、と指摘されて「気づかない方言」だったのか、などと卑下する必要は無い。「ははは、中部地方なら通じる共通語ですよ」と逆襲すればいいだけの事。
君:ほほほ、あなた東京のお方に根を持っているわね。
私:いや、そんな事はない。これはあくまでも文例。はっきり言おう、僕は今まで方言で苦労した事って一度も無い。それに自然科学の世界は英語だ。英語の読み書きさえできれば万事オッケー。
君:でもどうして毎日、方言の事ばかりを考えていらっしゃるのかしら。あなたって、・・変わっているわね。
私:ははは、仕事柄、人と対面でお話し するのが仕事。話題作りにとてもいいんだ。「あの、今おっしゃった〜、少し教えてくださいませんか。」で会話に花が咲く。わしゃたまらんのやさ。ぶっ
君:それでも変人、品詞分解・文法も好きだわね。
私:それは君との会話の為。共通語でね。
君:ほほほ、全国共通語という意味ね。でも、女心をこととはば、実はキモイだけの貴方、かたはらいたしとこそおぼゆれ。
まとめ ・・・実は「標準語」は戦前まで使われていた漢語「標準」の延長上の言葉ですよね。その一方、「共通語」は戦後からの新語なのでした。共に国語学・方言学の学術語なれどその意味するところは異なり、つまりは似通ってはいますが別の言葉です。ただしアンシンしてやぁ、その差は微妙、あまり硬う考えんでも宜しうおますがな。ところで戦後しばらくは標準語教育が続いていたのでしょうね。私がいい例です。私の小中学時代は 1961-9です。高校時代は 1969-72です。そして私にとって中等教育の唯一の方言学授業は高3の榎戸先生の方言周圏論のお話、つまりは蜩c民俗学・五分ほどの雑談、だったのでした。結論、戦後生まれの僕って実は標準語教育しか受けていなかったのか!な・な・なんと、国語の共通語教育を実は受けていなかったのね。うん、間違いないです。そんな僕がなんで共通語と方言にはまっているのでしょう?? 榎戸先生へ、ほんの一瞬の教師と生徒の「共通」の時間だったのでしたかねぇ。結論の結論、(高校国語)教育畏るべし。嗚呼

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