大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 方言学

気づかない共通語

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私:表題だが、どう思う?
君:「気づかない方言」の逆の意味よね。
私:その通り。言い出しっぺは井上史雄先生かな。せっせと精力的に学術用語を作っておられる。独創性の先生だね。
君:判り易い言葉で説明してね。
私:要は、方言なのに共通語と勘違いしている事を「気づかない方言」と言い、共通語なのに方言と勘違いしている事を「気づかない共通語」と言う。
君:具体例は?
私:ミネルヴァ書房・はじめて学ぶ方言学、85頁に詳しい。地元の人が編纂した方言集にあらわれる現象だ。共通語なのにおらが町の方言です、と勘違いして見出し語に使われる言葉なんだよ。実際例としては、★共通語で同じ意味もしくは近い意味の二つの表現がある場合、使用頻度が多いほうは勿論、共通語としてしまうが、少ないほうを方言と認識してしまう事。頂上も天辺も共通語だが、普段は頂上をよく使う場合、天辺をオラが町の方言と勘違いしてしまう事や、★新旧で同じないし近い意味の二つの共通語がある場合、古いほうを方言と認識してしまう事、例えば「じきに・すぐに」だが、かつては「じきに」はよく使われたが最近は「すぐに」を使う事が多いので「じきに」を方言と勘違いしてしまう事、★対応する文字言語や共通語は無いが、それ自体、文体が低いものと意識された場合にその言葉を方言と判断してしまう事、例えば威勢がいい事を「いなせな」というが滅多に使われる事も無いだろう、でも時々は使う人がいる事を知るや、それをおらが町の方言かと勘違いする事。
君:方言を熱っぽく語りたい人はなんでもかんでも「オラが町の方言」と考えたいのね。
私:その通り。つまりは方言に対する愛着心、郷土愛が根底にあって、自分たちの町はこんなにも方言が豊かな町です、という事をアピールしたい事の表れだ。
君:それって、まさにあなたの事じゃないの。
私:ははは、お言葉だな。何でもかんでも飛騨方言ですと言って紹介したら、それこそ国語力が問われる。このサイトの内容には僕の名誉がかかっている。だから「気づかない共通語」は一切、上梓していないつもりだ。内容は辞書で確認した後にアップしている。
君:それは論理の破綻よ。自分で自分の間違いに気づけない事、これが「気づかない共通語」の本質よ。
私:それもそうだね。だから、僕のやっている事は基本的には方言辞典に記載がある事の内容紹介のみだ。勿論、内省して飛騨方言のセンスにあっているか、主に文法チェックに自分の言語中枢を使う事はある。当サイトの随分古い記事、10年ほど前、だが裏の裏を読む書評・飛騨金森史なども参考までに。十年前も、今も、僕の考えは一ミリもぶれていない。
君:つまりは出版物に記載されている福井越前大野・飛騨高山共通方言の内容は大半が誤り。
私:間違いは間違いだ。かばいようが無い。つまりは飛騨金森史の飛騨方言の章は「気づかない共通語」のオンパレードだったという事。もっともこの場合は現代語ではなく、江戸時代初期の共通語、つまりは越前大野でも、飛騨高山でも、お江戸八百八町でも使われていた言葉という意味だけどね。その意味では「気づかない古語」。ははは、天下の井上先生もこんな事まではお気づきになっておられないだろう。がはは
君:でも出版なさった方々の飛騨方言に対する熱意は表彰ものね。
私:その通り。立派な出版物だ。チョッピリ残念なことに、方言学、つまり学問の立場からは間違った記載である、と言うだけの事。
君:出版する場合は方言学の専門家に監修をお願いすればいいのよね。
私:その通り。方言学の論文を沢山お書きになって、更に沢山の出版をなさって、大学で教鞭をとっておられる方に監修をお願いするのが一番だ。岐阜では岐大の山田敏弘先生が第一人者かな。
君:このサイトもそうしたらどうかしら。
私:いや、ここは学術サイトでは無い。エンタメ系なんだ。そういう型ぐるしい事は。
君:ほほほ、また自己矛盾。冒頭で、このサイトに「気づかない共通語」は無いはずだ、とおっしゃったわよ。
私:一応は「気付く・気づかぬ」は別として「方言」だけを記載しているつもりだ。でも自分で自分に気づく瞬間はある。多くの方言学の名著からそれを学んだ。
君:ほほほ、今回は井上先生ね。先生の本は2016年の出版、あなたが「気づかない共通語」に気づいたのはもっと前、2005年あたり、つまりは井上先生の10年も前だったかも知れないのに、「気づかない共通語」という言葉を思いつけず、つまりは気づかなかったのよね。ほほほ、あなたって今更ね。古典文学のモチーフのひとつ「引かれ者の小唄」そのものだわよ。引かれ佐七様へ、なにが「気づかない古語」ですか。ほほほ
私:そうなんだよ。ぐやじい。井上の野郎め。
君:ほほほ、をこなり。でもあなたって誰よりも無邪気ね。

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