表題ですが、死んでもいいとは何事だ、けしからん、とどなた様も思われましょう。
実は。ここは飛騨方言の変な言い回しのコーナーですので、飛騨方言ではそのような意味ではなく、
とんでもない別の意味ですからご容赦ください。
表題は実は、飛騨方言での意味は、アマゾン探検をしなくてもいい、という意味なのです。
別稿の 飛騨方言におけるサ行変格動詞・せるの未然形に接続の特異形・しぬ
にお書きした通りですが、飛騨方言ではサ変動詞未然形・し+否定・ぬ、の接続があり、
しかも、ぬ、が撥音便になります。早い話が、飛騨方言では、しない、という事を、せん、とも言いますが、しん、とも言うのです。
例文ですが 宿題せんでもいい、あるいは、宿題しんでもいい、というのは共に、宿題をしなくてもいい、という意味です。
また実は別に筆者なりのトリックがあります。
それは、、、飛騨方言では可能な限り助詞が省かれてしまう傾向があり ( 例 佐七ゃ新幹線で東京いくとき車内で新聞よんで、弁当たべる)、これでひとひねりしています。
死んでもいい、という場合は、アマゾン探検 ( で ) 死んでもいい、という事で格助詞・で、を省略しています。
そして、しなくてもいい、という場合は、アマゾン探検 ( を ) しなくてもいい、という事で格助詞・を、を省略しています。
つまりは、格助詞・で、を、などを表記してしまうと賢明な読者の方にすぐに気づかれてしまうので、
表題ではわざと省いているという次第です。
でも、こうやって佐七の手を公開してしまうと、二度とこの手は使えないかな。
まあいいや、次なる手を考えましょう。
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