大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

ソシュール学説・その三・飛騨方言におけるコピュラ

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私:さあ今日も飛騨方言の徹底討論・コピュラについてです。
友:ソシュールのコピュラでは支離滅裂ですが。
私:いや、失礼、ソシュール学説については別稿・シニフィアンとシニフィエ、またCopulaなどもどうぞ。難しい事ではない。コプュラ文と言えば、A=Bという形式の文章、各国語でも基本中の基本、例えば英語ならディスイズアペン、日本語なら、高山は故郷です、などの文章を示す。
友:ふふふ、試験もないのに一生懸命に勉強なさったとは。
私:試験がないから楽しいんだよ。楽しいから勉強しただけ。いつの歳になっても試験は嫌いだ。
友:前置きはさておき。
私:英語のコピュラって be 動詞だけだね。独語は sein。飛騨方言はどう。
友:AはBやさ、AはBやえな、AはBやぞ、などですね。
私:古い人の言い方は、じゃさ・じゃえな・じゃぞ、になるね。他方、若い女性が、〜いな、をよく用いる。携帯メールで頻用していらっしゃるでしょう。
友:で、ソシュールさんの出番は?
私:そう、飛騨方言のコピュラはシニフィアンの花盛り、随分と多いね。シニフィエは全て同じ、哲学でいう、ザイン、だ。要はひとつのシニフィエがあって時代とともにどんどんシニフィアンが出来てきたという事かな。以下は飛騨方言の種明かしなり。であり>じゃ>や・やえな>やいな>いな
友:わかったぞ!!!はじめにシニフィエありき。始めにコピュラありき。これが言語なんだ!
私:そうでしょうね。何千年経っても言わんとする意味・シニフィエは変わらない。ただしそれを意味する音・シニフィアンはどんどん変わっていく。廃れるシニフィアンあり、生まれるシニフィアンあり、一般的にはシニフィアンは時代と共に増加し、ここに豊かな飛騨方言の話し言葉文化が生まれる。
友:わかったぞ!!!はじめにソシュールありき。最近のあなたは何でもかんでもソシュールなんだ。
私:ははは、からかいやがって。ところでね、飛騨方言に既に幾つかのシニフィアンがあって全国を眺めたら相当な数だろうね。
友:ですね。英語は am/are/is , 独語は bin/sind/bist/ist なるほど少ない。理由がありそうですね。
私:理由は国土の広さだ。日本は広い。世界は狭い。
友:ははは、からかわないでくださいよ。逆でしょ。
私:そんな事はない。井上史雄、変わる方言動く標準語、ちくま新書、2007年1刷、を読みたまえ。日本の四島は南北がヨーロッパのそれに匹敵する。北海道から沖縄までの距離を考えると北米大陸並みだ。ヨーロッパ各国語のコピュラを合算すると日本語の方言コピュラと似たような数字になるのだろう。
友:飛騨方言って、ちっぽけなもの、・・・と思っていましたが、考えが改まりました。ははは。
まとめ 言語は始めに意味・概念(シニフィアン)有りき。シニフィアンはほとんど増加しない。それを表現する音がシニフィエ、シニフィエは増殖し続ける。A=Bという言語学上は最も簡単なコピュラ文において「=」のシニフィエは当然ながら各国語ともひとつのみ、更には英独語では「=」のシニフィアンも少ないのに対し、日本語ではとても多いので方言文化になっている。

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