大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

ソシュール学説・その四・飛騨方言副詞・いご

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私:さあ今日も飛騨方言の徹底討論、ソシュール学説です。
友:別稿・シニフィアンとシニフィエの具体例ですね。
私:ええ、飛騨方言の副詞に、いご、というのがある。
友:いご・以後は方言ではなくて共通語でしょ。
私:ははは、既に死語になりつつある同音異義語の副詞・いご、を聞いた事がないのかもね。例文といこう。
"おっ、つけものか。そしゃいなだくさ。ありゃ?このつけものぁ、いご、うもうねーな。"
さて、意味は?
友:"あら、漬物。いただきます。あれ、これは以後、つまりはあれ以来、美味しくないですね。"
私:それでゃあ全然、意味が通っとらんさ。正しい意味は、いくらもうまくないですね。つまりは、それほどは美味しくないですね、という意味だ。
友:なるほど、シニフィエは、以後、ではなく、いくらも。始めにシニフィエありき。飛騨方言には、いくらも、という意味の副詞があり、たまたまそのシニフィアンが副詞・以後、と同じであった、という事ですね。
私:その通りです。語源はいくらも>>>いご、という事で、不肖佐七の語源辞典に上梓してある。四拍が二拍に減るわけだから、語源探しも大変だけど、でもやってやれない事はない、証明してみせよう、という気持ちだったのさ。書いたのは・・二年も前かな。当時、私はソシュールは知らなかった。がしかし、考えていた事はソシュールと同じだ。はじめにシニフィエありき。これが言語だ。
友:なにか、言いたい事が頭に浮かんで、そしてそれに該当する言葉を頭の中の辞書から選んで発音する、考えてから言葉がでる、という・・つまりは・・当たり前の事ですね。いご難しい話ではないんやさなあ。
私:おっしゃる通り。さてついでに、いご、の語源について。いくらも、なんて言葉がとても古い言葉でなきゃ、佐七の語源説もぎゃふんだけどねえ。でも安心、古語辞典にある。四拍が二拍になるのにどうも一千年近くかかったらしいよ。
いくらも・古今恋三 うばたまの/やみの/うつつは/定かなる/夢に/いくらも/まさら/ざり/けり

友:あーれぇ、こーわいさあ、あの人をすきになってまったんやさあ、という意味ですね。そやが、今も昔も、シニフィエは変わらんのやさなあ。ははは。
まとめ 飛騨方言「いご」のシニフィエは「ちっとも、すこしも、全然」にて同じシニフィエにてシニフィアン「いくらも」の恋歌が古今にあるが、このシニフィアンは令和の共通語と同じであった。

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