副詞・そう、は共通語の文例としては、そうしてください、そうすれば、等々
ありふれた言い回しがあります。
これが飛騨方言では時として、そ、になります。例えば、
共通語 飛騨方言
そうだ! そや!
そうだな。 そやな。
そうかな? そがな?
そうしてください そしてくりょよ
そうすれば そしゃ
等です。
共通語・そう、が飛騨方言では、そ、に短呼化されたのでしょうか。
著者はそのようには考えません。
共通語(東京語)において単音・そ、がいつの時代にか、長音化副詞・そう、に
変化したのでしょう。以下に筆者がそのように考える論拠をお示しします。
そもそも、共通語・そう、の語源を事問わば、古語副詞・さ(然)、である事は
書かずもがな、しかしあえて、文献によれば源氏物語から徒然草まで、平安から鎌倉時代の
言葉のようです。それでも実は、さようですか、さほど何々とは、等々の文例に明らかな如く、
副詞・さ、の言葉は現代人がなお時々は無意識に
つかっている言葉ではないのでしょうか。
そして日本語の母音は別稿・奈良時代の飛騨方言
に記載の通りですが、奈良時代には8個、平安時代には現代と同じく5個、あいうえお、になったのです。
お気づきですね、共通語にして然り、飛騨方言にして然り、平安期以降であった以上、
さ>そ、の音韻の変化はある時代に突然生じたのであろうと筆者は主張したいのです。
英語はいざ知らず、さ>そ、のあいのこの言葉、swo、は日本語にはありません。
また飛騨方言終助詞・や、の語源は終助詞・やい、でしょう。つまり、
平安期 上代 現代
共通語 さやい>そうやい>そうや
さたり>そうたり>そうだ
飛騨方言 さやい>そやい> そや
(さや>) そや
という事なのではないでしょうか。
個人的には、さや、では飛騨方言としては様(さま)にならないと感じています。
やはり、さやい>そやい、の語変化ではないでしょうか。
そやい、は現代語としても通じる飛騨方言である事を一言、記載しておきましょう。
そやい!(=なあ、そうだろ!)
まだまだ荒唐無稽論が続きますが、飛騨方言で、そうだ、と言わないのは、
古語の飛騨方言に、そうたり、が存在しなかった為でしょう。
そして何故ゆえに飛騨方言には、たり、が無かったのか。
答えは明白です。たり、は平安時代には漢文訓読文に用いられ、
鎌倉時代以降は和漢混淆文(わかんこんこうぶん)に用いられた、
つまりは教養ある人々の書き言葉だったからなのでしょう。
伝承文化・飛騨方言とは無縁というわけです。
まとめ
古語副詞・さ(然)、が平安時代以降のある時代に突然飛騨方言・そ、に変化し現代に至った可能性がある。