大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

三上章

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私:今日は昨晩に続いてもう一人、人物を紹介したい。
君:先月形容詞の総論のコーナー、歯が痛い・歯が白い、の記事のところで出て来たおかたね。三上章論文「象は鼻が長い」、現代語法序説・刀江書院。同書は日本で最初に「主語廃止論」を唱えた名著よ。先生は日本語の新文法(統語論)の主張者ね。「ハ」と「ガ」を同一視していたそれまでの文法を「主題(文全体のレベル)」と「主格(命題レベル)」という2つの異なる次元のものであるということを明確にしたお方よ。
私:その通り。文法の大好きなお方である。特筆すべきは1927年東京帝国大学工学部建築学科卒というユニークな経歴。
君:工学部出身の言語学者だから米国で言えばマサチューセッツ工科大学のチョムスキー先生のようなお方ね。
私:いやあ、よく言ってくれた。三上先生は日本のチョムスキーと言いたいところだが、実際は逆。
君:という事は、三上先生の方が年上。つまりはチョムスキーはアメリカの三上。
私:まさにそうなんだよ。旧制山口高等学校に首席入学するも、校風が気に入らず退学、三校に進学、東京帝大だから天才肌のお方だったという事だな。
君:三上先生もチョムスキー先生も国語学者ではなく言語学者ね。
私:そう。数学が大好きで記号論理学でガンガン攻めまくるタイプ。
君:脱線していて形容動詞のお話が始まらないわ。
私:いやあ、すまんすまん。では、本題。三上先生は同書・現代語法序説・刀江書院で、形容動詞なんて品詞は有り得ない・実はこれは「ナ形容詞」である、とお説きになった。
君:形容動詞は畢竟、形容詞である、というお考えね。つまりは形ク、形シク共に「イ形容詞」であるというわけね。
私:正にその通り。日本語を母語とする人々、要は日本人の両親から生まれ育てられてきた君や僕は形容動詞という概念は実は直感的に把握できるか、外国人が短期に日本語を学ぼうとする場合に形容動詞という概念は障害になる。従って学校文法の世界では形容動詞という概念を認めるが、現代における外国人への日本語教育では「ナ形容詞」と教えるのが一般的。
君:なるほどね。思わぬところで三上の理論が復活したという事なのよね。
私:まあ、そんなところだが、僕なりに先ほど来、思いついた理論がある。
君:単なる思い付きは理論なんていわないわよ。
私:まあ、聞いてくれ。らうたし、これは形ク。らうたげなり、これは形動ナリ。これは問題ないよね。
君:ほほほ、源氏を少し読んだからといって。まあ、良しとしましょう。
私:三上先生の理屈でいくと、らうたげなり、は、ゲナ形容詞、になっちゃいませんか。
君:確かに、屁理屈ね。
私:なに言ってやがんだい。立派な理屈だ。ってか、左七なりの理論なんちゃって。
君:故人におなりの先生を茶化すような書き方はよくないわよ。
私:返す返すも残念だ。若し生きておられたら僕は先生に手紙を書いていたと思う。
君:ではおしまいね。
私:いや、まだまだ続く。当サイトはエンタメ系である事をお忘れなく。
君:本気なの?
私:おっ、釣られたぞ。「本気な」はキナ形容詞だ。内気な、勝気な、負けん気な、これらも全てキナ形容詞。
君:なるほど、その調子で幾つもの形容詞をお披露目しようという魂胆ね。
私:お察しがいいね。先ほど来、あれこれ内省してみた。
君:沢山思いついたのでしょうけど、数種類でいいわよ。
私:そうだね。ゲナ形容詞とキナ形容詞以外は、というと、今風だ、東洋風だ、これはフウナ形容詞。神秘的だ、懐疑的だ、これはテキナ形容詞。飛騨方言をおひとつ、おかしたいな、という言葉がある。これは畿内方言の、けったいな、と同意。
君:という事は、おかしたいな、の語源は、形動タリおかしげたり、ね。
私:そうなんだよ。つまりは其の本態は、形動タリに更に、な、つまりは形動ナリを付けた言葉。三上理論的にいけばこれはゲタイナ形容詞という事になってしまう。ぶふっ
君:けったいな、はその点、すっきりしていてナ形容詞でいいわね。つまりは語源は「けたいなり怪体也」。
私:飛騨方言に、たあけたいな、という言葉があるが、意味は、たわけたような。形動タリ・たはけたり、が語源だろうから、これって若しかしてタイナ形容詞。こうやって記号論理学的に飛騨方言を解析すると言語脳が活性化されるなあ。がはは
君:言葉をそのまま返すわ。形容動詞を茶化さないでよ!おかしたいな左七!たあけたいな左七!ほほほ

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