大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
主観と客観 |
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私:昨日のお話、気の毒、の通りだが、形ク・形シク・形動ナリ・タリ共に品詞によっては主観とも客観とも言えないものがある。つまりは形容詞・形容動詞は、主観のみ、客観のみ、主観・客観の両方に用いられるもの、この三者に分類されるようだ。 君:あら、時枝先生にケチをつけていらしたのに。心情・形状の二分類、抽象・具象の二分類を主張したんじゃなかったの? 私:勿論、考えは変わっていないが、多くの文法書は主観・客観を説いている。英語の subjective / objective の直訳なんだろうが。それならそれで、主観とは自分にしかわからない事、客観とは誰もがわかる事、このように考えれば満更、不都合な概念ではない。 君:つまらない議論ね。 私:そう言うだろうと思っていた。今夜は主観・客観の両方に用いられる形容詞について考えてみよう。 君:つまりは幅広い意味・幅広い用途の形容詞というわけね。 私:そう。トランプで言えばエースカード。 君:具体的には? 私:方言量の逆の概念だ。一つの単語で幾つの意味を持つか、という事。非常に多ければエースカード。 君:同音異義語ではなく、多義語という事ね。 私:要はそういう事。 君:だから具体的には? 私:飛騨方言では、こわい、なんてのがそうだな。私はこわい(客観)犬がこわい(主観)。 君:それでは主観も客観も同じ意味。多義語なんかじゃないわよ。 私:飛騨方言で、こわい、と言えば、ざっと以下の通り。
君:思いっきり書いたわね。まだまだ出てきそうね。 私:そうかもね。小学館日本方言大辞典には「こわい強」の見出しで25通りの意味が書いてある。全国各地で形ク「こわい」はエースカードぶりを発揮しているね。全部を書くのはうんざりだし、僕の本意でもない。 君:あなたの本意は、何故こんなお化け多義語品詞があるのか、と言う命題の謎解きね。 私:その通り。主観・客観を問わず、喜怒哀楽のなかでも不快の感情、つまりは怒・哀の全ての感情に使えますよ、という理屈だね。 君:なるほどね。 私:もうひとつ言いたい事がある。形クの多義語の横綱が「こわい」だ。という事は、形シクの多義語の横綱は? 君:・・さて。 私:無いに等しいね。形シクに多義語は存在しない。せいぜいが、二つ三つの意味のものばかり。 君:やかましい。わかってるわよ。ほほほ |
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