共通語・言う、と同じ意味で飛騨方言・そう、以外にも長野方言・せう、が
ある事を実は先ほど知りました。そう・せう、は同根の動詞であろうと筆者なりに
直感しました。但し、長野人がそう、という事ないのでしょう。
また飛騨人がせう、という事はありません。従って、そう・せう、ともに
俚言動詞なのでしょう。しかも尚、サ行の動詞だというたったそれだけで
同根と直感するというのは幾らなんでも唐突すぎるでしょうか。
さて長野方言・せう、のネット情報が実はたったふたつという断片情報のため、以下の議論には
ある程度の類推が含まれますがご容赦を。
まずは
hot-blizzard.com/hougen.htmのホットブリザードさん記事
ですが、文例は、せったか、せわねぇか、せってみろ、ですが
言ったか、言わないか、言ってみろ、という意味なのでしょう。
飛騨方言逐語訳は、そったがい、そわんが、そってみよ、です。
次いで
academy4.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1017001043/l50・名無しの象さんの
せった・せわね、という記事ですが、言った・言わない、という意味ですね。
飛騨方言逐語訳は、そった・そわん、です。
長野方言の活用に似せて、そったか、そわねぇか、そってみろ、そわね、
という言葉のシミュレーションをしてもやはり飛騨方言とは言いがたいですね。
飛騨・長野の両地方に文法の差がある事は明らかです。
それにしても、竹取物語に出て来る動詞・言う、が何故また飛騨・長野両国では
サ行の動詞に化けてしまったのでしょう。蛇足ながら、飛騨方言でも動詞・言う、を
用います。実は筆者は長野方言・せう、に巡り会うまでは心密かに、飛騨俚言動詞・そう、の
語源は、そう言う、ではないかと思っていました。
長野方言・せう、も、そう言う、が訛った言葉でしょうか。
別稿・飛騨俚言動詞・そう、の語源に関する一考察
を参考にどうぞ。
また英語の動詞 say に発音が似ている事が何とも早、滑稽です。
つまり現在形では飛騨・長野・英語の順に、そう・せう・セイ、
過去形では、そった・せった・セッド、となる訳ですからね。
しゃみしゃっきり。
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