同郷の友人から、"だばえたいな"の語について興味がないかメールを
もらいました。そういえばやはり飛騨方言では音便変化するのですね。
この比況の助動詞の連体形において、Y音が脱落してしまうのです。
以下に思いつくままに例をお示しします。
飛騨方言 共通語
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えがいといたいな えがいていたような
いそいだいな いそいだような
いっとったいな いっていたような
イライラしたいな イライラしたような
かすれたいな かすれたような
かびたいな かびたような
さびたいな さびたような
たあけたいな たわけたような
だばえたいな だばえたような
だばえたえな だばえたような
フワフワしたいな フワフワしたような
まじっとったいな まじっていたような
めだっとったいな めだっていたような
やっとったいな やっていたような
よったいな よったような
だばえる、とは、駄馬のような状態、ダメな状態になる、という意味の
俚言動詞でしょう。
ところで先行動詞の連体形が比況の助動詞に接続します。つまり上記の例は
すべて動詞の連体形+助動詞の連体形の形の複合語です。
つまりは比況の助動詞・ような、は無くても体言に接続可能であるという意味、
つまりは省略しても立派に意味は通じます。
例えば上記の例ですが、後続する名詞を"様子"にして、比況の助動詞を
省いてみましょう。
描いた様子、急いだ様子、言った様子、イライラする様子、
かすれた様子、かびた様子、さびた様子、戯けた様子、
駄馬えた様子、フワフワした様子、混じった様子、
目立った様子、やった様子、酔った様子、
ねっ、ほら意味の違いなどありません。
描いたような様子、描いた様子、この二つは同じ意味です。
私は中学の国語の恩師が、見て見よ、見て見て見よ、
このような文章は書くな、見よでよい、とお教えくださった事を
突然に思い出してしまいました。
結論ですが、比況の助動詞・ようだ、は連体形では省略しても
意味は変わりません。従って飛騨方言では連体形が廃れつつあり、
その初期症状として Y音が脱落している、という事を
皆さんも既にお気づきですね。しゃみしゃっきり。