大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 音韻学

おり(俺)

戻る

私:2004辺りから飛騨方言に興味を持って書き始めているので、かれこれ二十年。当初はまとまった知識もなく、手元資料も少なく、当サイト発足時の原稿には誤謬が含まれていると思う。
君:言い訳はいいから、本日の話題は?
私:飛騨方言における人称代名詞の音韻について。共通語では、おれ(自称)、あれ(他称)、だれ(不定称)、という事で音韻は統一性がある。飛騨方言では、おり(自称)、わり(対称)、あり(他称)、だり(不定称)、という事で共通語と飛騨方言には音韻対応すらあるんだ。
君:共通語では他称を、われ、とは言わないわね。
私:それは自他の逆転問題であって本質的な事ではない。僕っておりこうさんね・えらいわ、とか、河内弁で、われなにしてんねん、とか。問題にしたいのは共通語と飛騨方言はラ行で同一、にもかかわらず共通語はエ列であり、飛騨方言はイ列である事。
君:それについて、なにか気づきがあったのね。
私:あったなんてもんじゃない。つい、先ほどだ。小学館・日本方言大辞典をなにげなく斜め読みしていて、見出し・おい「俺」、が目に飛び込んだ。つまりはこれの派生語が実は飛騨方言の人称代名詞の音韻という事だ。これが今日の結論。でも、こんな事って昔から方言学では常識だったのだろうかね。鹿児島弁で、おいどん、というのは、日本人なら誰でも知っているだろう。
君:おれ俺、の語源って、おのれ、じゃなかったかしら。
私:議論の多いところだな。おれ爾、は記・上にある対称。相手を卑しめた言い方だ。おのれ己、も万葉集に出てくる。大方の古語辞典には、おれ(俺、近世語)は、おのれ、の転と書かれているかもね。
君:そんな事はいいから。おれ、から、おい、に音韻変化したのでは、といいたいのね。
私:そう。一発変換ってやつだな。子音の脱落並びに列の交替だから。
君:そして、おい、から、おり、に音韻変化したのでは、といいたいのね。
私:正にその通りだ。つまりは子音の挿入だ。子音の脱落ならびに元の子音の挿入、しかも列が交替したという事なんだよ。大発見。
君:あらあら、現象を説明するのに難しそうな言葉を並べただけで、説明になっていないわよ。それに、そもそもが別に難しい言葉でもないし。
私:まあ、何とでも言ってくれ。批判は甘んじて受ける。僕が言いたいのは、ひとつの物の見方。真実は不明だ。
君:でも、真実に一歩近づいた気持ちになったという事ね。方言の神様との握手の瞬間ね。おめでとう! ほほほ

ページ先頭に戻る