大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

異音

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私:方言学を少し離れて、音韻学のお話を。同形異音語については既述。
君:しまった、書く順番を間違えた、といった所ね。
私:その通り。異音には二つの意味がある。日常語としては、奇妙な、聞き慣れない音 strange noise の事。今回は音韻学・音声学でいう所の異音 allophone。ところで音韻論での最小の単位は何?
君:母音・子音じゃなさそうね。
私:母音・子音は音声学の最小単位だ。両者併せて短音という。音韻論的な最小単位は音素 phoneme。類似する短音を入れ替えても意味が変わらない場合、それらはその音素に属する異音と呼ぶ。そしてそれが意味の違いにならない場合を自由異音という。
君:具体例をお願いね。
私:例えばエルとアールの違い。英米人には大問題だが、日本人にはラリルレロ。例えば良「よい、いい」この両者に意味の違いは無い。更には「はい・ええ(そうです)」これも自由異音だね。音素は明らかに異なるのに、意味の違いは全くない。逆に「お仕事は運送屋?うん、そうや。」これは同音異義語。
君:異音同義語と言わずに、自由異音というのね。更には同音異義語を自由同音とは呼ばないわね。同形異音語と自由異音は結局のところ、同じような意味かしら?
私:いや、それは違う。同形異音語は表記と深く結びついている。新しい表記法で音韻を表せば、それは同形ではなくなる。日本語は表意文字であるために表記の自由度が高い。その一方、仏独語など諸外国語はローマ字という、つまり表音文字を使って表記するので、意味の違いがあればウムラウトなどではっきりとさせなければならない。以上は書き言葉のお話だ。口語、つまりは話言葉の世界は自由異音のみの世界であり、表現する文字が何であるかという世界(つまりは同形異音語の世界)ではない、という事がわかる。
君:衒学的ね。要はこういう事ね。日本語は表意文字の世界で視覚的な世界、独語は表音文字で耳の世界。表意は意味の学習が困難、表音は発音の学習が困難。 ほほほ

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