大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
東京弁?東京方言?東京語?首都圏の言葉? |
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私:この数日は同意語問題にひたすら取り組んでいる。更新ログに一行、サイト内字句「東京弁」改め「東京語」に統一、と書く事が出来た。 君:という事で表題ね。早速に本論にいきましょう。 私:うん、当サイトは2005からだが、当時は何の疑いも無く「東京弁」という言葉を専ら使用して記事を書いていた。対象の読者は小学生を想定。 君:要は今になって三千ページ以上のサイトになったけれど、字句を統一しようと思い立ち、「東京語」で統一したという事なのね。ソフトを用いて自動的に変換したのではなく、一つ一つの文章を確認しながら。という事ね。 私:その通り。但しディスク内の全文検索ソフトとエディタは必須。 君:手始めに行った事は? 私:「東京弁」「東京方言」「東京語」それぞれで検索したら27、94,47の該当文章だった。これらを一つ一つ、修正した。総時間は一時間余。 君:つまりは全ての文章を「東京語」で統一したのかしら。 私:いやそうではない。「東京弁」の文章の大半は「東京語」に変換した。「東京方言」の文章も過半数を「東京語」に変換した。 君:ほほほ、「東京弁」は俗語につき極力排除したし、「東京方言」「東京語」共に学術語なので、これらは文章の内容により使い分けをした、という意味ね。 私:その通り。日本語の歴史を紐解けば、関東圏の言葉は、アイヌの言葉に始まり、蝦夷(えみし)の言葉に継がれ、中世までは坂東方言と言われていたが、近世・江戸時代からは江戸語と呼ばれるようになった。近代・明治になり文明開化と共に薩長土肥の言葉が江戸言葉に混じるようになり首都は大混乱状態になる。江戸改め東京という首都の呼び名ですら、とうきょう・とうけい、どちらが良いか、国論が二分した位だった。とにもかくにも明治政府は近代化策として国語の統一に奔走した。それでも日本には現在ですら方言の東西対立という言語文化が存在する。戦前などの東京語を、関東辺縁の言葉とも違うという事で、方言区画論的に東京方言と呼ぶのは寧ろ当然だ。東京語は戦後の言葉。またその一方、戦後の高度成長期には東京語という言語圏は拡大し、現代は首都圏(広義の東京)の時代だ。従って令和の現代の東京語は首都圏の言葉。東京語も参考までに。 君:左七君は蔵書が増えると、彼はあれこれ過去の文章の間違いに気づき文章の変更を余儀なくされる、彼はこれを当然の宿命と受け止めるのだけれど、正しい定義に基づく字句の統一はその第一歩、というわけね。ほほほ |
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