大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 飛騨方言 You Tube Contents

気づかない方言

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本日の話題は飛騨地方の皆様へのとっておき情報「気づかない方言」です。さて、「気づかない方言」とは、東京以外の人が話す言葉で、本人は東京語を話していると思い込んでいるが、実は東京語ではそのようには話さない言葉の事を言います。具体的には、愛知県・岐阜県で広く使われている尊敬語「みえる」があります。共通語では「おみえになる」「おみえになられる」と言い、共通語で用いられる「みえる」は可能の意味「見ることができる」や単に視界に入っているという意味、例えば「遠くに富士山が見える」のような使い方がありますが、尊敬の意味で「みえる」とは言いません。

ただし、いくら飛騨出身者が東京で尊敬の意味で「みえる」を無意識に用いたとしても、会話には文脈というものがありますから、立派に尊敬の意味の用法として「みえる」が通用してしまう可能性もありますし、あるいは聞き手には可能表現として理解されても、それによって会話が成立しなくなる事も多分、無いでしょうね。

では早速に本題です。昨日は飛騨の大祭についてお書きしました。当然ながら同キーワードにてユーチューブコンテンツも調べたのですが、以下の動画が目に留まりました。高山市長・國島芳明様と大祭実行委員長・三島信之様の新春対談で大祭四方山話です。楽しく拝聴させていただきました。司会の中島様も含めて、実は三人のおかたが全て、各々一回ずつ、尊敬表現「みえる」を使っていらっしゃる事に気づいてしまいました。

若しやと思い、早速に私の出身・斐太高校の卒業者名簿を見たところ、思っていた通りでした。國島様も中島様も愛知県が所在地の大学卒という事でした。卒後、直ちに市役所にお勤めのようです。三木様は斐高ではないようです。つまりは都会での大学生活があったとは言え、愛知県も岐阜県も、両地方でのみ通用する「気づかない方言・みえる」を使用する地域なので、つまりは三人とも東京語圏で生活なさった事がないのです。つまりは、お互いに気づきようがない、という訳です。これが「気づかない方言」が成立する第一条件なのです。私事で恐縮ですが、生まれも育ちも名古屋市の家内と東京に住んだ事の無い私の間でも「気づかない方言」が成立します。

誤解の無いようにお書きしておかねばなりませんが、言葉遣いが間違っているのでは、という問題提起ではありません。中部地方には「みえる」という「気づかない方言」があり、以下の動画で確認できた事が私には収穫で、方言学という国語学の下位分類の学問をかじっている私には大変に興味深かった、という事をお書きしたかっただけの事です。実は私こそ方言学を学ぶまで気づかないでいました。「気づかない方言」に気づく事が方言学に興味を持つきっかけになった、という体験談もよく聞きます。「みえる」はまだしも、更に強烈な「気づかない方言」があります。「おぼわる」です。名古屋では通じますが、東京では通じません。

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