大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 飛騨方言 You Tube Contents

飛騨やんさ

戻る

私:沢山の記事を書いているとどこまで書いたのか、わからなくなる。重複している節はご容赦を。
君:飛騨やんさは飛騨高山の代表的な民謡ね。
私:全国ブランドとは言えないかも。ただし、飛騨の盆踊りには必ず歌われる。
君:まずは歌ね。
私:蓄音機の音源を発見。

君:古風な蓄音機ね。
私:保存状態がいいね。懐かしすぎる。こんな製品記事も発見。VICTROLA VV1−90
君:究極のアナログ(電気を一切使わない)と書いてあるわよ。
私:そう、その通り。手でクランクをぐるぐると回してエネルギーをため込んでから聞くんだ。
君:アンプも何もないのに大きな音がでるわね。
私:円盤型横振動蓄音機。ベル研究所の発明との記載があるね。今日初めて、この歳になって学んだ。いやあ、感激だ。小学校低学年の頃。昭和35年頃だったかな。遊んだ覚えがある。
君:えっ、そんなのがお家に有ったのね。
私:ああ。祖父が買い求めた蓄音機だ。それはさておき、高山市公式サイトでこの民謡の謂れを知ろう。ここ。謂れは大原騒動説と飛騨攻めをした武田軍説。昭和10年に制定されたらしいね。
君:歌詞は沢山あるのでしょうね。
私:例えばここ
君:「よいんやさの、よいんやさの、えっさっさ」は意味があるわよね。
私:飛騨方言「よいんやさ」は「よいのじゃさ」の撥音便。方言文末詞「さ」は通常は助動詞「じゃ(である)」に接続する。「そんなことええさ(いいですよ)」のように形容詞終止形に接続も可能。名詞への接続は不可。「や」を名詞に接続する。これが飛騨文法や。飛騨文法やさ。飛騨方言における格助詞の使い分けをご参考までに。
君:思い出したわ。「ええじゃないか」が日本史に出てくるわね。慶応3年(1867年)8月から12月にかけて、近畿、四国、東海地方などで発生した騒動。
私:そして大原騒動は江戸時代の飛騨の大規模な百姓一揆。1771年(明和8年)から1788年(天明8年)までの18年間にわたり断続的に騒動が発生した。「ええじゃないか」の一世紀前だ。
君:武田軍説の根拠はなにかしらね。
私:歌詞に平湯峠が出てくるからだろう。平湯峠経由で武田騎馬隊が飛騨に攻め入った史実がある。歌詞で気になるのが平湯も含めて四か所も丹生川(にゅうかわ)村の地名が出てくる事。平湯(ひらゆ)、千光寺(せんこうじ)、下保(しもぼ)、桐山(きりやま)。
君:他に歌詞のテーマは豊作、山深い飛騨、男女の恋なのよね。求愛の歌詞が三つもあるわ。
私:若い男女の恋心というのは人類の永遠のテーマだね。東海風流チャンネル vol 8「飛騨やんさ」編では高山市の民謡制定に至ったいきさつについて詳しいお話が聞ける。民謡歌手・水野詩都子さんの美声は 6:10 から聴ける。

君:岐阜県の民謡と言えば郡上だわね。
私:飛騨でも盆踊りは盛んなんだけどね。コロナで2020は軒並み中止だった。
君:祭りと盆踊りが男女の出会いの絶好のチャンスなのにね。
私:花火大会とかね。偶然に出会ったふりをして、気軽に声をかける作戦。一対一は嫌われたり用心される可能性があってよくない。だから当て馬を一人だけ従える事。矢張り相手方も当て馬といっしょだ。本命の彼女にアプローチするには二対二で遊んで、「帰り道がいっしょだから送っていくよ」といって初めて一対一に持っていく事。「大丈夫、ひとりで帰れるから。」と言われてしまったら、きっぱりとあきらめる事。
君:そんな時もあったわ。思い出して胸キューン。
私:僕にもあったな。今は何といっても孫といっしょに祭りと盆踊りだな。
君:小さな幸せというのよね。
私:決して小さくは無いよ。大きな幸せだ。
君:ほほほ、孫は世界一、可愛いいのよね。
私:えっ、そりゃないだろう。
君:ないだろうって、どういう事。
私:僕は孫が宇宙一、可愛い。
君:それだけのお気持ちがあれば大丈夫ね。
私:どういう事。
君:貴方の棺で思い切り泣いていただけるわよ。
私:ひ孫にも泣いてもらいたい。が然しかなりハードルは高い。私は67歳、初孫が3歳、彼が結婚し子供が生まれ、そのひ孫が物心つくのに最低35年。そこまで生きていれば102歳。無理だな。頑張ってあと13年生きて80歳になると孫が高校生か。その辺が人生の仕舞時だ。上等だね。斐太高校の沢山の同級生が既に他界している。朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。君とならこの気持ちを共有できると確信している。
君:ほほほ、同感よ。気が付けばこの歳になっていて、本当に人生は短いわね。一瞬の事だわ。

ページ先頭に戻る