大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 心の旅路

ちゅらさん 沖縄

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私:最近でこそ時々は休暇を取ったり、少し文化的な生活をしているが、一昔前までは働け、働けで奴隷のような生活をしていたので、朝の連ドラ「ちゅらさん」は実は一度も見ていない。
君:でも「ちゅらさん」は沖縄を代表する方言、ユネスコ指定絶滅危惧言語、だろうと感じて、その意味と語源について少しは気になっていたのよね。
私:まあね。実は手元の資料にキチンと記載があった。東京堂出版・地方別方言辞典。著者は真田真治先生。意味は「きれいだ」で、語源は「清らさあり」だそうだ。
君:なるほどね。「清ら」が「チュラ」になり、接尾語(辞)「さ」、そして「あり」が「ン」になったという事でストレートに品詞分解が出来てしまうじゃないの。
私:響きは外国語のようだが、紛れもなく日本語だね。ただし君の言い方で少しひっかかる所がある。
君:あら、どういう事。
私:「清ら」が「チュラ」になったとも考えられるが、そもそも原始の日本語たる日琉祖語というものが存在していて、「清ら」を示す体言が存在した。それが本土では「清ら」という名詞になり、琉球では「ちゅら」という名詞になったという事。「清ら」は竹取にも出てくる日本でも最古の名詞と言ってもよく、竹取で既に「清らなり」つまりは形容動詞にもなっているが、決して竹取の「清ら」が南西諸島経由で沖縄に伝搬したという事では無いと思う。
君:なるほど、その通りね。仮説としては和語「(おそらくは)清ら」があり、これが本土では現在に至るまで音韻変化せず、沖縄では「チュラ」へと音韻変化したという意味よね。
私:その通り。接尾語(辞)「さ」だが、これは本土と沖縄で同じという事なのかね。
君:ほほほ、それもどうかしら。古語辞典をお読みなさいな。
私:おや、そうだったかかな。・・なるほど、たかが「さ」、されど「さ」。現代人は「美しさ・静かさ」の例の如く、形容詞・形容動詞の語幹について、程度・状態を表す名詞を作る用法しか知らないが、万葉集には詠嘆・感動を表す語「〜ことよ」の用法があるんだね。「〜が〜さ」「〜の〜さ」。これが琉球方言と同根の可能性もあるわけだ。
君:「ん」が付くことで「ちゅらさん」は形容動詞という事なのよね。本土ではナリ活用・タリ活用が生まれたけれど、ナリ活用に近い感じだわね。
私:形動タリ・形動ナリについては別稿で少し触れてみた(ここ)。奈良時代、ってとこかな。本土では「にあり」が「なり」になり、沖縄では「あり」が「ん」に音韻変化したわけだから、そもそも日琉祖語には格助詞「に」が存在していなかったという事なのだろうね。本土では「きよらあり」「きよらにあり」「きよらなり」、一方の沖縄では「きよらあり」「きよらさあり」「ちゅらさん」の音韻変化が生じたのでは、と考えたいところだ。沖縄方言については知識が皆無に近く、間違いの可能性は無きにしも非ず。
君:ゴーヤチャンプルとか、片仮名表記だと、流石に外来語にしか感じられないのよね。
私:でも、たったひとつだが沖縄へ旅行した折に瞬時に語源がわかった言葉がある。
君:あらあら、つまりは日本人なら誰でもわかる、小学生でもわかる、というレベルの事よね。
私:そうだ。豚の耳があって、これを「ミミガー」と言うんだ。
君:それは簡単すぎるわね。というか、其の物ズバリの言葉じゃないの。
私:そして、その隣には豚の顔の皮膚部分があって「チュラガー」と記載してあった。
君:耳が「ミミガー」、顔が「チュラガー」、あらいやだ。耳は「ミミ」、そして顔は「チュラ」なのね。それにしても「ガー」の接尾語(辞)は何を意味するのかしら。顔は綺麗だから「ちゅら」なのかしらね。
私:ははは、冗談はよしてくれよ。豚の頭だぜ。綺麗どころかグロテスクそのものじゃないか。
君:確かにそうね。
私:沖縄方言とて日本語だ。古語のセンスで考えればいい。この場合の「チュラ」は「つら面」なんだよ。そして「ガー」は「かは皮」、つまり「ミミガー」は「みみかは耳皮」、「チュラガー」は「つらかは面皮」というわけだ。
君:確かに「ミミ」「ツラ」等々、身体部分は全てが和語なのよね。全国に方言多しと言えども、ほとんど音韻変化していないのでしょ。
私:その通り、古代から全国すべて耳は「ミミ」、つらは「ツラ」の音韻だ。ただし沖縄では「チュラガー」は既に「チラガー」に音韻変化しているようだね。先ほどネット検索した結果だが。
君:将来は「ちゅらさん」が「ちらさん」になる可能性すらあるのよね。

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