大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 心の旅路

けん「出来たけん・美味しいけん」西日本

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私:何といっても方言文末詞を覚えると旅先では地元の方々とのお話が楽しくなるね。
君:ほほほ、今日はどこの旅のお話なの。
私:島根県安来(やすぎ)市だよ。
君:安来節の安来ね。
私:その通り。
君:ドジョウ掬いのお話かしら。
私:いや違う。順接確定の文末詞「けん」だ。共通語では「から」。「雨だから傘が要る」というところを安来では「雨やけん傘が要る」と言う。
君:あら、九州を代表する文末詞じゃないの。
私:だね。だが然し中国・四国をはじめとして西日本一帯で広く使われているようだ。飛騨方言では「で」で決まりだね。「雨やで傘が要る」。これを「雨だから傘が要る」と言っちゃうと東京かぶれのきざな奴という事になる。
君:「けん」のどこが面白いのか、よくわからないわ。
私:僕がいつも強烈に興味を抱くのは語源なんだよ。旅行に行く時に不便を感ずるのは書斎にある大量の資料を紐解く事が出来ない事。旅先のホテルでは勿論、移動中はスマホでネット検索をすぐに開始するが、必要な情報が得られるとは限らない。「けん」の語源に関する情報は皆無に近い。
君:でも、見つけたのね、「けん」の語源を。
私:ああ、見つけた。結論だが「から(に)」が音韻変化して「けん」になったに違いない。
君:ほほほ、安易な発想だわね。「から・かん・けん」或いは「から・けら・けん」かしら。
私:からかわないでくれ。そんな事あるわけないじゃないか。そんな論法は説得性がゼロだろう。
君:でもなんらかの音韻変化によって「から」から「けん」に変化したに違いないと直感した何かひとつの事実があるのね。
私:ああ、そうだ。順接確定の接続助詞としては「から」「ので」の二つがあるが、さすがに「ので」が「けん」に化ける事はないだろう。でも「から」と「けん」は語頭がカ行という強烈な共通項がある。上代に「から」という日本語があって、それが時代と共に西日本で次第に「けん」に変化したと仮定した場合、同じく順接確定の接続助詞でカ行の助詞がないものだろうかと、国研地図等を見た。昨晩に全国の順接確定表現に関する一考察に上梓した通りだが、カ行は「カラ、ガラ、カリ、カイ、カラニ、カラン、キャーニ、ケ、ケー、ケーニ、ケン、キニ、ケニ、キ、キー、クトゥ」だ。上代の順接確定の接続助詞「からに」がある事を旅行先でパッと思い出せなかったのはうかつだった。僕の古文単語力の無さを痛感させられた。ははは
君:謙遜なさる事ないわよ。でも「見るからに美味しい」とか、現代語でも使うわよ。
私:その通りだね。但し、「からに」の意味は古語と現代語では異なる事が落とし穴だよね。現代語では「からには」の形で限定条件を表す事が多いね。例えば「聞いたからには放っておけない」。つまりは「聞いた以上は」という意味。「見るからに美味しい」は「見るので・見たので」という順接確定の意味では無くて、実は「見た限りでは」という、やはり限定条件の意味だ。つまりは「一見、美味しそうに見えるが本当に美味しいかは実際に食べてみないとわからない」という意味になる。
君:方言で使われている「からに」はそのような限定条件の意味ではなくて古語と同じく順接確定の意味で用いられているのよね。
私:勿論、そうだね。それと古語の「から」と「からに」でニつ、三つ、確認しておかねばならない事がある。
君:どういう事かしら。
私:言葉の年代測定だね。「から」「からに」共に平安から江戸時代までの言葉、つまりは古さは同じだ。「から」に核助詞「に」がくっついて複合助詞「からに」が出来たというわけではないという事。それと「からに」は厳密には江戸時代初期までで、「からにて」の用法も多い。一方、「から」は江戸時代後期まで使われ、現代口語に至る。従って、語源を考える場合、「からに」が「けん」の語源であると考えたほうが非常に判り易い。
君:「からに」がどんな経過で「けん」になり得るのか、皆さまが十分に納得するように説明してね。
私:ああ、勿論。「けん」がいつの時代に確立したのかは知らないが、「からに」が徐々に音韻変化して出来たのだろう。その途中経過の音韻が現在も各地の方言に残っているに違いないと考えたんだよ。
君:なるほどね。となれば、まずは「カラニ」から「キャーニ」に変化したのね。
私:その通り。拗音化だ。
君:「キャーニ」は「キニ」に変化したのね。
私:その通り、短呼化だ。
君:「キニ」は「ケニ」に変化したのね。
私:その通り、母音交替。
君:「ケニ」は「ケン」となって現代の西日本方言文末詞が完成したのね。
私:その通り、撥音便化。
君:要は「カラニ」が拗音化+短呼化+母音交替+撥音便化の過程を経て「ケン」に変化したのでは、という仮説ね。
私:その通り。「カラニ」が平安時代から近世までかかって少しずつ、少しずつ変化して「ケン」になったに違いない。ただし方言学の音韻論に基づいて演繹される佐七の仮説だ。その重要根拠は全国の方言分布。気分的には出雲、つまり神話の国で方言の神様にお逢いできたようで、素直にうれしい。
君:「ケン」が最終過程という事かしらね。
私:いや、それは違うと思う。現在、既に「ケ」が有るくらいだから「ケン」は将来は「ケ」にならないとも限らない。
君:つまりは西日本での多数派「ケン」だけど、実は少数派なれどもさらに進んだ形「ケ」も存在するという訳ね。つまりは「ケ」の先祖様は「ケン」なんでしょ。
私:そうだね。語尾の単モーラの脱落だ。拗音化までは三拍だったが、短呼化で二拍になり、語尾音の脱落で「ケ」の一拍になった。これ以上は進化する事はないのだろう。
君:一切、変化が無かった事がたったひとつあって、語頭がカ行という事ね。
私:正にその通り。「カラニ」が頭高で「カ」にアクセントの核があったからだろうね。冒頭の例文「雨やけん」だか、「け」にアクセントの核があったよ。
君:飛騨方言だけじゃなくて全国の方言が気になって仕方ないのね。
私:ああ。出雲市では「へしこ」のお茶漬けをいただいた。食べながらスマホで検索したところ、「へしこむ他マ五(他動詞マ行五段)」から来ている事がすぐにわかった。ただし、「へしこむ」の意味が何だろうと迷ったが「へいす平・他サ五(他動詞サ行五段)」の連用形「へいし」+「こむ込」の複合動詞だろうと考えた。つまりはギュウギュウと平らに圧迫する、という調理法であろうと理解した。
君:ほほほ、「けん」の語源がその場で判らなくとも「へしこ」の語源は正にお食べになる時に語源がわかったのだから、美味しさも格別だったのよね。
私:勿論だよ。第一に、旅先で知らない言葉に出会うと嬉しくて仕方ないんだ。
君:語源がわかったからこそ。ところで「けんこそ」の言い回しもあるのかしら。
私:ははは、あったよ。「パチンコ打つけんこそ読める漢字あるよね」差玉勝負と言うらしい。大分からの発信。
君:ほほほ、大分方言では格助詞「を・が」等を省くのね。

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