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彼のオートバイ、彼女の島/片岡義男 |
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彼のオートバイ、彼女の島 1977年、角川書店、ISBN 4-048-72183-6 は私のような戦後生まれ、ナナハン、というキーワードが魂の隅々まで沁み込んでいる世代にはバイブルと言ってもよい小説でしょうね。オートバイをテーマにしたコミック本ならありそうだが、一体全体、本当にオートバイが主人公の小説などというものがあるのですか、というのが国民の皆様の率直なご感想でしょう。答えは勿論、はい。 戦後から昭和三十年代・四十年代にかけて、庶民にとってはマイカーなるものが高根の花・夢のまた夢だったころ、特に田舎では各ご家庭にあったのがオートバイという時代だったのでした。私が中学生の頃です。ただし私は家にあったトラックを乗り回していた事は別記事にお書きしました。全ては時効です、岐阜県警殿。 さて、私は1969年(昭和44年)に地元の進学校・白線流しの斐太高校に進学するのですが、一年生の夏に誕生日を迎えると16歳となり晴れて二輪免許の受験資格となります。ところが、我が家の家風は、・・トラックを(無免許)運転して農家を手伝えばよい(これも時効ですね)、という事で我が家にはオートバイがありませんでした。でも、・・ここまでは本当に平凡な前置きです。高校二年生になって、とんでもない事件がおこるのです。思い出して胸がうずきます。 二年生の新学期、体育館で校長先生の挨拶の後に新任の先生方の紹介が始まります。そのおひとりが英語の女の先生。今春に名古屋大学文学部英文科をご卒業になったばかり、しかも、・・可愛いっ!!、栄えある伝統の我が受験校に旧帝大卒の才色兼備のビーナスが降臨、男子生徒を中心に、おおぉっっ、という歓声が体育館内にこだまします。私も思わず叫んだひとりでした。 まだまだ前置きは続きます。なんと、そのおなご先生が私のクラスの英文法の担当に、もう私は有頂天でした。彼女は大卒一年目で私は高2、つまりは歳の差が5年。これはもう、俺も名古屋大学か東大、京大あたりに進学し、卒業後も彼女がまだ独身でいらっしゃったら当たって砕けろ求婚するしかないだろ、と、ざっとこんな感じで、高校二年生のがきたれの妄念は膨らむばかりです。 前置きはこれくらいで、とにかく憧れの独身女性の恩師に気に入っていただきたく、それはもう、英文法は発狂するほど勉強しました。新々英文解釈研究、懐かしい参考書ですね。完全に暗記出来ました。研究社の雑誌・高英研(高校英語研究)、これは本格的な受験雑誌ですが、これも二年生の私は果敢に挑戦、全て吸収しました。ひとえに女先生に注目していただきたいために。・・ふふふ、チャンスはやってきました。別稿に書いた通りです。(ここ)。 ここまでは本当に幸せな高校生活でした。ところがある日、私の心はズタズタになってしまいます。手短かに、実は同年、ホンダが大排気量750CCのオートバイを国内で発売、ナナハンの愛称で全国の男を虜にするのですが、我が校の男の独身の先生が早速にそれを乗り回しておられて、原付50CCしか乗らない男子生徒のまさにヒーローになられたのですが、ナナハン先生がマドンナを後部座席に乗せて走っているとの目撃情報が多数にて、高山市全体の話題になってしまいました。私はオートバイの免許を持たないどころか、我が家には原付すらない。どうやって高校生の分際の私が無免許でトラックに乗って彼女をデートに誘えると言うのですか。 このような形で、高校生時代の私のオートバイトラウマは決定的なものとなりました。私が大学生になると更なる追い打ちです。道交法改正というか改悪、二輪免許はは大型と普通の二本立てとなり、大型の合格率は0.01%、オリンピック選手のようなスポーツ神経が無いと取得できない暗黒の時代を迎えてしまったのです。私は医者としてガムシャラに働きオートバイコンプレックスを克服するしかありませんでした。 ところが天は私を見捨てませんでした。道交法緩和、免許は車校で誰でもとれる時代が到来、55歳の時に大型自動二輪の免許を取得し、まよわずホンダGL1800を購入しました。ナナハンの二倍半の排気量、総重量500キログラム、重さは四倍、これを十年かかって12万キロ、つまりは地球三周分を無事故で走りました。最早、肉体の延長も同然です。今はBMWr1200GSも乗りこなしています。やっと高校時代のコンプレックスから解放されたのです。後部座席には家内が乗っています。町中のうわさになって欲しい。表題の小説ですが、独身男女の青春物語、二人を乗せるオートバイはカワサキの650RS-W3、通称ダブサン。それはもう、うっとりするような素敵な恋愛小説です。少なくとも私には。あるいは若しかして私にご興味のあなたにも。ご参考までに |
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