まずは、少し長いですが読んでください。昔話です。
読むのがメンドクサイという方は読まなくていいですが、黄色い文字
(ポイント&手掛かり)だけでも読んでもらったほうがいいと思います。
なんのこっちゃか分からなくなりますよ。


昔々の話やがの、尾張の国の八曽山へ行くには姫の今村を通っていくのが一番便利だったそうな。
ところが、姫というところは、姫の泣き洞というぐらい洞の多いところやで、「ここは何ちゅうところですかな?」と
道ばたの人に聞くと、「へぇ、ここは姫やわな」「そうですか、ありがとうさんで」と礼をいってまた歩くのじゃが、
ずいぶん行って、(また)「ここは何という所ですかな?」「へぇ、ここは姫ですわな。」としか答えてくれぬ。
旅人は来過ぎたのか、まだいかなければならないのか迷って泣きべそをかく。そんなころにやっと
今村の洞口にたどり着くというあんばいやった。その洞じゃが、田ばっかり続いとって、
ひと気のない寂しい道を行かんならん。てくてく歩いて洞を深く入ると、やっと今村にたどり着くのじゃ。
 
ここを過ぎるといよいよ峠で急な坂道になるので、「やれやれ、やっとここまで来たか」とうーんと腰を伸ばすんじゃ。
いつの頃からか、村はづれの峠の道に、まんじゅう屋が店を出してのう。蒸かしたての湯気の立つおいしい
まんじゅうを売っておったそうや。旅の人らも、
街道からそれて、これからは山へ向かうというときやで、
まんじゅうを食べて一服したのやろうか。そうやもんで結構繁盛したらしいよ。旅の人が縁台に休んで
「まんじゅう下さい」というと、「はいはい、今すぐに」と返事をしながら
石で作られた穴のようなところから、ばあ様
が出てござらっせる。旅の人はびっくりして「へぇ、おもしろい住まいやなぁ、しかし石の穴では、
気持ちが悪かろうが」と聞くと、「なぁに、冬は暖かいし夏はひんやり涼して、そりゃ住み心地はいいんな。と答える。
のんびりと一人暮らしで旅の人の相手をしとりゃあ、方々の土産話も聞けるしのう」とさも楽しそうに笑う
のじゃげなわ。その婆さまを、誰というなく「岩室のまんじゅう婆」と呼ぶようになっておったそうだが、
いつの間にやらおらんようにならした。何せ一人暮らしのことやで、行方を捜すものもおらんで、そのなりやった。
そうやが、その婆さんの住んだ岩室は
今でもぽっかりと暗い口を開けて残っておるがの。
それは古墳やそうで、今では
「饅頭婆古墳」と呼ばれておる。まんじゅう婆は大昔に葬られた人の墓に
住んでおったことになるわけやが、ちょっと気味が悪いのう。

語り:鈴木光利/再話:加藤富貴子/1980/可児町民話の会

昔話の最後のページにあった写真。

前半部分はつまらないので
読み飛ばしてもらってかまいませんよ。

読書お疲れさまです。で、ノエルはこの昔話のどこに興味を持ったかというと、おばあさんがまんじゅうを売っていた古墳です。これは昔話というよりは実話に近く、場所を特定するにも十分過ぎるほどの情報で、この古墳を見つけることは容易と思われた。なんといっても古墳の写真が載っているのだから地元の人に聞けば一発だと思ったからだ。で、さっそく今地区の第一村人に聞いてみると「知らんがな(´・ω・`)」と。他数名に聞いてみたのだが、みんな首を傾げるばかり。で、可児の文化財をある程度把握していると思われる公共機関の姫治連絡所に行き聞いてみる。すると、そこの方は忙しいにもかかわらず電話やら本やらで調べてくださった。
で、ここが教えられた場所である。多治見との境で、墓地の奥にその古墳は存在するというものであった。なるほど、確かに山道で古墳もあるっぽい所だ。んで、さっそく調査開始。(写真の場所に駐車して調査をした訳ではありません。もっと広い場所で停めましたよ。)
いかにも土葬系のお墓を登り、未知の道無き道に導かれるように(早口言葉)奥に入っていく。
ここで30分ほど付近を散策したのだが、見つかりません。
「どうなってるんだ!古墳なんて無いじゃないか」と苦情を言おうと再び姫治公民館へと行くが、そんなことを言うはずがなく、結局、詳しいことは市役所でないと分からないとのことで、市役所に行くことを薦められた。公民館長というと、ネクタイにスーツ姿かと思っておりましたが、作業着姿で14へぇ〜でした。館長の○宅さん他従業員の方々親切にして下さって、ありがとうございました。
お役所に到着し、言われたままの場所へと行く。4階の教育委員会なんとか課とかです。市役所の方は立派な地図を持ってきて親切に教えてくださり、以下のような具体的な場所を知ることができた。
黄色の丸で囲んである場所が古墳です。ちなみに、右のグレイの線は2番目の写真の道路である。赤紫の部分がお墓である。さて、地図の等高線から見て分かるようにお墓より入り、山を一つ越えた辺りとなる。なお、左側にはバッテンが2ヶ所あるが、これは市役所の方でも見つけれんかったそうだ。
市と市の境ということもあり、こういった杭がところどころに打ち込んであり、迷うことはないのですが、木と木の間にあるクモの巣トラップがうっとうしい。対策として近くの枝を拾いクモの巣ワイパーとして体の前で振り振りしていくのだが、このときのコツは、「奈良の近所迷惑おばさん」としてワイドショーを騒がした河原美代○容疑者の布団叩きするがごとく「引っ越ーし!引っ越ーし!さっさと引っ越ーし!しばくぞ!」とクモに激しく引越しを推奨することで、ある程度は防ぐ技術を習得した。
クモの巣をかき分けて黄色い部分にたどり着くと、なんと。。おバーさーん!微妙な高さの木や草がようけ生えとる。どうしてここだけ?クモの巣天国と化したこの場所をノエルは恐れ、お婆さんゾーン(我田伝説参照)と名づけた。こんな場所では古墳らしいものは見つけれず、左の未確認古墳も一通り探してみるがやはり見つからない。で、帰ろうとした時、ノエルに悲劇が襲い掛かる!デジカメは・・・?そう、胸のポケットに入れておいたデジカメをどこかに落としてしまったのだ。このサイトには欠かすことができないデジカメを落としてしまったことは、ノエルにとってサイト閉鎖の危機すら頭をよぎった。パニック状態となったノエルは落ち着き、よい解決方法を産み出すために、ラマーズ法で呼吸整えるが、何も産まれるはずもなく必死に探すこと2時間。結局見つけることはできずその日の捜索終了となってしまった。(この日は生きた心地がしませんでしたよ)
デジカメ捜索二日目。この日はガッツリ朝から学校があるので朝4:30より起きて、少しの望みを託して捜索を開始する。一つ気付いたのだが、なんだか気持ちがいいのだ。ひんやりした空気に小鳥のさえずり。遠くの方でR248号の車の走る音。まさに森林浴気分で、「別に見つからなくてもいいか」とか「クモの巣も生きているのだから仕方ないな」と許せるぐらいになっていた。クモの巣に関しては見つけ次第叩き落しましたが。
 清々しく探すこと1時間。その時ノエルに奇跡が起きた。上の地図の赤丸地点で見つかったのだ。さすがにこのときは叫んだ。早起きは三文の得とは本当だな。まだ時間に若干の余裕があったので再び古墳の捜索へと戻る。今度は忘れずにカメラをかばんの中に入れてからね。
古墳は結局見つからなかったが、帰り道は本当に幸せだった。涙が出てきた。((゚д゚)ハァ?)思わず太陽を撮ってしまった。本当に見つかるとは思わなかったから。幸せになるかどうかは自分の力次第であり、自分で取りに行くものだとあらためて実感できた。もし、普遍的な幸せと、(危険が伴う)突発的な幸せがあったのなら、ノエルは迷わず後者を選ぼう。さて、臭いことを語ってないで、ここで一つ分かったことがあります。「あの場所には婆さんがいた洞穴は存在しない」ことです。ああみえても計4時間は周辺をウロウロしましたからね。峠の付近であることは間違いないのですが、今考えると八曽山に行くときにあの道を通るのは少し変で、もっと他の角度から当たっていこうと調査方法を全面的に見直すことに決めたノエルであった。

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