鏡花水月 2



眠らない街。
煌々と輝く灯り。道行く男を呼び止める声。かき鳴らされる三味線。艶めいた笑い。
行きかう人々の思惑が交錯するこの街の一角で、私もまた男を迎える用意をしていた。
一夜限りの夢とばかりにこの身体と偽りの愛を与え、代わりに様々な情報を引き出すために。
真選組監察。それが私の本当の肩書き。
ここに存在する私は、何もかもが偽りなのだ。
男たちを騙すことに微塵の躊躇いもない。
偽りの遊女が鬻ぐ偽りの夢。滑稽なのは何も知らない男たちか、それとも私自身か。
 
「姐さん、お客です」
「ありがとう」
 
途端、胃が引きつれるように痛む。
いつもの事と、痛みを飲み下す。本来の私自身と一緒に。
どれほど回数を重ねようとも慣れる事はないらしい―――違う。慣れる事はできたはずだ。
要は心持ちの問題なのだろう。狭い部屋が世界の全てでそれが当たり前だったあの頃と。世界を、あの人を知ってしまった現在と―――
あの時、一変したはずの世界。
それでも私は同じことを繰り返している。ただ違うのは、今は明確な目的を持っているということ。あの人のためにと、自分の意志で動いているということ。
立ち上がり、そんな感傷めいた思いを振り切る。
裾を引き、先導された部屋の前に腰を下ろした。ひんやりとした板敷きに、心まで冷えていく感覚を覚える。
すっ、と襖が静かに引かれた。
 
「本日はお呼びたていただきましてありがとうございます―――
 
面を上げた私の顔に浮かぶのは男を誘うための笑み。
目の前の男は価値ある情報を持っているだろうかと、そんな腹積もりを内に隠して。
男との駆け引きが密やかに始まる―――
 
 
 
 
 
 
「今度はいつ来てくださるの?」
 
そろそろ時間だからと帰り支度を始める男に向かって、私は精一杯に媚を振り撒く。
もちろん立場上、どんな男にもかけている言葉ではあるけれども。それでも今日の男のように少しでも役立ちそうな情報を持つ相手に対しては、特に艶を含ませた声をかける。
案の定、男は悪い気はしなかったらしい。また近い内に、との答えが返ってきた。
 
「その時は何か手土産を持ってこよう。期待していてくれ」
「まぁ。ありがとうございます。楽しみにしていますね」
 
どうやらこの男は私のところに通ってくれそうだ。
ほくそ笑むのは胸の内だけにして表向きは嬉しそうに微笑んでみせる。けれどもそれは一瞬。すぐに私は表情を変える。一転して今度は不安を覗かせて。
 
「でも危険なお仕事なのでしょう? ……お侍様のことは私のような女ではわからないけれど。それでも、怪我などしないでくださいね。待っておりますから」
 
送り出すための言葉とは裏腹に、引き留めたいかのように男の袖の端を遠慮がちにきゅっと握る。
この仕草が男心を擽るのか、大抵の男は満更でもない表情を見せる。この男も例に漏れず相好を崩し、「心配せずとも、またすぐに来るから」と去っていった。
男を送り出し、身なりを整えながら、得たばかりの情報を頭の中でゆっくりと整理する。
今日のようにささやかでも収穫があれば、込み上げてくる吐き気も少しはやり過ごしやすい。どうやって情報の裏を固めていこうか、あとは山崎さんにお願いした方が確実だろうか。そんな事を考えながら髪をまとめたところで、部屋の外から声がかけられた。襖を開けると、いつも面倒を見てくれる店の女性だった。
 
「あの。次のお客様が……お断りしたんですけど、何時間でも待つと仰られて……」
 
やっぱりお断りしてきましょうかと、私の顔を見て言う。そんなに酷い顔をしているのだろうか、私は。
その言葉に甘えてしまおうかとも思う。
けれども様子を窺うに、すでに散々やり取りをした後なのだろう。どこか救いを求めるような彼女の表情に折れるのは私。
 
「構わないわ。10分で支度するから、待っていてもらうように伝えてください」
 
普段相当に融通を利かせてもらっている分、時には私の方も妥協しなければならないだろう。
私の返事にあからさまに安堵の表情を浮かべると、足早に部屋を離れていく。
客あしらいに長けた彼女をしても断りきれない客。余程頑固なのか、強面なのか。どちらにせよ手強そうだと、溜め息をつきながら手早く着物を整え、髪を結う。そういう男は得てして口が堅い傾向にある。何も期待しない方が良さそうだ。
きっかり10分後。
通された部屋で、私は声もなく凍りついていた。
 
「思ったより早かったじゃねーか」
「高杉、晋助……」
 
どうして、またここにいるのだろうか。
喉の奥から絞りだした声はみっともないまでに掠れていて、動揺を手に取るように悟られていることだろう。
この男が相手だったならば、彼女にあしらえきれなかったのも道理。けれどもやはり、後で恨まれてもいい。断ってもらえば良かったと思う。今更後の祭ではあるけれども。
逃げ出すことなどできるはずもない。
満ちた静寂の中、思考さえも凍りついたかのように何も考えられない。前回のことといい、投げつけてやりたい疑問は幾らでもあると言うのに。
それでも息苦しささえ覚える空気から抜け出したくて。
ようやく口にできた疑問は、相変わらず掠れた声にしかならなかった。
 
「何が目的、なの……?」
 
まるで意図がわからない。
私を殺すつもりならば、前回幾らでも機会はあったはず。今回だとて強引に居座ったりしたのだから店の人間に余計に印象を植え付けていることだろう。
そこまでして一体何がしたいのか。
 
「言ったじゃねェか。惚れた女を抱きに」
「冗談はやめてとも言ったじゃない!!」
 
その言葉の何を信じろと言うつもりなのだろう、この男は。
白々しい言葉が欲しいわけじゃない。私はそんな言葉に無条件に喜ぶような女ではないのだから。
私が声を荒げたのが意外だったとでもいうのか。高杉は驚いたような表情を見せたけれども、それも束の間、すぐに元の皮肉めいた顔に戻る。
 
「だったら……俺にとって邪魔な組織を潰させるため、という理由ならどうだ?」
 
……きっとそれも嘘だろう。
確かに目立つ行動がとれないのはわかる。けれども手駒などいくらでもいようし、情報を流すにしたところでもっと自然な様を装う手段がいくらでもあるはずだ。
明らかすぎるほどの嘘。高杉自身、私にそれが通用するとは思ってもいないはずだ。立場上、互いの言葉など信じられるわけがない。
それでも私には、それ以上追及することができなかった。
真っ直ぐに私を射すくめる視線。金縛りにあったかのように動けないのは恐怖のためか。
でもそれはこれから与えられるであろう死や苦痛を予期してのものではない。もっと別の何か―――私の中で何かが変わってしまうのではないか。そんな予感による恐怖だろうか。
自分でもよくわからない。わかるのはただ、歩み寄ってくる高杉から逃げ出す術を私は持ち合わせていないということくらい。
逃げられないのか、逃げないだけなのか。
それすらわからず、高杉が首筋に噛みつくように口付けてくるのを、ただ目を閉じて受け止めるしかできなかった。
 
 
 
 
 
 
どうしてだろう。
前回といい今回といい。その風貌にはそぐわない抱き方をする男だと思う。
飛びそうになる意識を今回は辛うじて堪え。
未だ冷めやらない熱は気のせいだと言い聞かせても、動くことすら億劫なほどの気怠さは偽りようがない。
それでもいつまでもこの男の隣で一糸纏わぬ姿を晒していたくはない。気力を振り絞って、すぐそばに放り出されたままの襦袢へと手を伸ばそうとしたものの、手が届くよりも先に後ろへと引き寄せられた。
 
「な……っ!?」
「もう少しこのままでいろよ」
 
背後から抱きすくめられ、耳元で囁かれ。身体がびくりと跳ねたのは驚いたからに決まっている。
この男の気紛れに付き合う義理は私には無いはずだ。
逃れようと身を捩ってはみるものの、今の私にその腕を払うだけの力は残っていない。
無駄な抵抗をする私は、さぞ滑稽に見えたのだろう。背後から聞こえる低い笑い声に恥ずかしさすら覚える。
けれども笑いはすぐに止む。代わりに、再び耳元で囁かれた。
 
「日本橋井桁屋の動向、知りたくねェか?」
 
その言葉に私はぴたりと抵抗をやめる。
日本橋の井桁屋。表向きは日本橋に店を構える大店。その実、裏では攘夷浪士たちとの武器の裏取引や資金提供なども噂されているものの、下手に踏み込めばこちらが潰されかねないと手を出せずにいる相手。
逆に言えばそれだけの大物。私たちにとってそれは、うまくいけばかなりの数の攘夷浪士を一網打尽にできる情報にもなりうる。
喉から手が出るほどに欲する情報をチラつかせられ、私は大人しくなる。
我ながら現金なものだと思う。
それでも真選組の、あの人の役に立つのならば。どうせそこにしか利用価値の無い私の身体、どうなろうとも構わない。
途端に態度を軟化させた私に察するものがあったのか、背後から吐き捨てるような笑いが聞こえた。
 
「流石、幕府の狗だな、オイ? ―――それとも、真選組副長の牝狗、と言ってやった方が正確か?」
 
嘲るような声音で発せられた言葉に、はっとして振り向きかけた瞬間だった。
自分の意思で振り向くよりも早く、ぐるりと回る視界。
酷薄な笑みを浮かべる高杉の顔を正面に捉えたのと、突然の突き上げを感じたのと。どちらが先だったろう。
 
―――っ!!?」
「てめェが今、誰に抱かれてるのか。今日はしっかり見とけよ。なァ?」
 
辛うじて声を飲み込めた事に対しては、我ながら誉めてやりたいほどだ。声を出さない事に大した意味は無いのかもしれないけれども、それでも少しくらいはこの男の所業に一矢報いているだろう。
先程までとは打って変わった荒々しさに翻弄されそうな意識の中、それでもこの方が高杉らしいと漠然と思う。
 
―――…ゃっ!!」
「出してみろよ、声」
 
胸の頂を抓まれ促されるものの、だからと言って素直に応じるつもりは私には無い。せめてこの程度の意趣返し、文句を言われる筋合いは無いだろう。
奥を幾度も突かれ、愛撫と呼べない程の荒々しさで身体の至る所を嬲られ。
遠のきそうになる意識に、いっそこのまま手放してしまえば楽になるだろうかとも思う。そうすれば私は身体中を駆け巡るこの熱から解放されるし、高杉も意識を失った女を抱いても何の面白味も無いだろう。
そう考え、ふっと気を抜いた瞬間だった。
 
―――っぁあんっ、やぁああっ!!」
 
身体の中心部から瞬時に電流のように全身を駆け抜けた衝撃に、身体が跳ねるだけで済まず私はついに声をあげてしまった。
けれどもそれだけで満足はしなかったらしい。高杉は執拗に同じ箇所を―――割れ目の奥、与えられる快楽に敏感になっている突起を、幾度も嬲る。
弱いところを集中的に攻められ、一度あげてしまった声を堪えきれず、意味を為さない声を切れ切れにあげる。そのたび、歪んだような高杉の笑みが視界にちらつくものの、それに対して幾許かの感情を抱く余裕は私には無かった。
速まる抽挿と過敏になっている突起を強く押された刺激とで、私の身体も精神も限界に来ていた。
 
「いやぁっ、ぁぁああんっ!!!」
 
はしたなくあがる嬌声。
私の意思とは無関係に、中に入れられたモノを絞めあげる身体。そして同時に真っ白になる視界。
これがイくという感覚なのか、と取り留めの無いことを感じながら、私の意識は白い闇に飲まれていった。
ただひとつ。次に目を開けたその時には、前回と同じようにきっと、高杉の代わりに紙が一枚残されているのだろうと、奇妙な確信を抱きながら……


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