HEAVEN 〜慣れない呼び名は照れるもの〜



数十分後。
の手には、新しい携帯電話があった。
しかしそれを持つは、戸惑いながら手の中の携帯と隣にいる土方の顔を、交互に見ている。
 
「あのー…これ……」
「見りゃわかんだろ。携帯だ」
「はぁ……でも、どうして」
「ソレが依頼なんだよ。
 ……頼むから、総悟にメール打ってやってくれ」
 
何故こんなことをわざわざ頼まなければならないのか。
自分で言っておきながら虚しさを感じずにはいられない土方。
だが、からのメールが来ないというだけで、沖田の機嫌は最悪なのだ。
仕事もまともにしなければ、自分に対する嫌がらせも陰湿じみてきている。そして今にも万事屋に乗り込みかねない雰囲気だ。
おかげで隊士たちは、現在の沖田の言動にやや怯え気味になってしまっている。
逆に言えば、からのメールが来ていた間は、機嫌もよく、仕事もそれなりにやっていたのだ。
つまりこれは、真選組内を落ち着かせるための依頼、ということなのだが。
それをどう説明していいのかわからず、結局土方は理由を言わないことにした。
するとは、何やら勝手に思い至ることがあったらしい。
 
「あ、あの……もしかして総ちゃん、ものすごく悩んでたりするんですか……?」
「あァ?」
 
悩みならば、沖田よりもむしろ土方の方が抱えている。現在進行形で。
だがは、真剣な表情で、そして今にも泣き出しそうな表情で、土方に詰め寄る。
言っている意味はよくわからないが、それでもからこれだけ心配される沖田が、何とはなしに羨ましくなった。
羨ましくはあるが……しかし、これで泣き出されるのは困る。
今のこの状況ですら、通行人から訝しげな視線を投げつけられているのだ。
自らの立ち位置に困った土方は、とりあえずはの誤解を解くことにした。
 
「落ち着けよ。別に総悟の奴ァ、悩んだりしてねーよ」
「で、でもっ! 総ちゃん、悩みがあって、だから私に相談したいことがあるって、だから私……っ!!」
「……総悟がそう言ったのか?」
「え? は、はい」
 
頷くに、土方は事の粗方を理解できた気がした。
人のよさそうなのことだ。悩みがあるとでも言えば、親身になってくれるに違いない。
そこにつけこんだ沖田が、ありもしない悩みをでっち上げて、に相談を持ちかけたのだろう。
そうすることで、は沖田のことを気にかけるし、それによって万事屋の連中への牽制にもなる。
仮にも真選組の隊長を務める人間が、一体何をやっているのか。
土方はまたもや頭を掻き毟りたい衝動に駆られた。
だが、そんな土方をきょとんと不思議そうに見ているは、その辺りの沖田の意図には、まるで気付いていないのだろう。
 
「……安心しろ。アイツは別に悩んでねーよ」
「でも……」
「あれはな……そうだな。悩んでんじゃねェ。心配してんだろーよ」
「え?」
「だから、音信不通になったアンタに何かあったんじゃねーかって、心配してんだよ」
 
実際には違うが、嘘も方便。
には余計な心配や悩み事など、与えたくはなかった。
どうして自分がここまで他人に気を遣わねばならないのか。我ながら土方は不審で仕方が無い。
だが、さしあたっては、依頼が先である。依頼とも言えないような依頼ではあるが。
 
「アンタがメールしてやらないと、総悟は心配でまともに仕事もしねェんだよ。
 仮にも真選組隊長がその態度じゃ、俺が困るんでね。
 一日一通でもいいから、総悟にメールしてやってくれ。依頼料は月々の基本料金でどうだ?」
「で、でも……」
 
にしてみれば、それは破格の依頼としか言いようがない。
沖田とのメールは、苦痛どころか楽しいものであったし、おまけにそれで携帯の料金を払ってもらえるなど、あまりにも図々しいような気もする。
躊躇った挙句、は「やっぱり悪いです」と口にした。
 
「総ちゃんが私のこと心配してくれてるのなら……屯所にちょっとお邪魔して会いに行くとかでも」
「もう忘れてんのか?
 アンタらが屯所に来たおかげで、あの日はもう無茶苦茶だったんだぞ」
 
実際にはには何の罪も無く、原因は沖田と万事屋にあるのだが。
しかしが屯所に来たりすれば、それは万事屋を呼び寄せる原因になりかねない。そうなれば、また以前と同じことの繰り返しである。
それは土方にとっては御免であったし、もまた、あの騒ぎの原因だと言われてしまえば引くしかない。
「すみません…」と謝るものの、それでもはまだ躊躇いを消せずにいる。
そんなに焦れたのか、「とにかく」と土方は話を打ち切ることにした。
 
「何でもいいから総悟にメールしろ。とにかくしろっつってんだよ。
 それで奴がまともに仕事するなら、携帯の料金程度、安いもんだ」
「はぁ……」
 
どうせ経費で落とすからな、と言う土方に、は曖昧な返事しかできない。
が、いくら言ったところで、携帯の返却は不可だと悟ったのか、それ以上は何も反論しなかった。
これも仕事なのだと気持ちを切り替えると、土方と話しながらぼんやりと思っていたことを口にした。
 
「それにしても副長さん、総ちゃんのこと気にかけてるんですね」
「あ?」
「総ちゃんのこと、好きなんですね」
「…………は?」
 
ポロリ、と土方の口から煙草が落ちる。
にしてみれば、何気ない言葉であって、沖田のことを気遣う人間がいることを純粋に喜んでいたのだが。
そして、その言葉に深い意味も無かったのだが。
しかしそれは、土方の背筋を凍らせるには十分な言葉ではあった。
 
「……薄気味悪ィこと言ってんじゃねェェェ!!!」
「はっ、はいぃぃぃ!!!」
 
怒鳴られ、思わず身を竦める
おまけに涙目になっているその姿に、土方は我に返るものの、返ったところでにかける言葉が特にあるわけでもない。
妙な誤解は解くべきなのかもしれないが、むきになればますますどツボに嵌ってしまいそうな気もする。
結局、特に何を言うわけでもなく、適当に別れて見廻りに戻ろうとした土方であったが、そこをに引き止められた。
 
「あ、あの、副長さん! 副長さんの携帯の番号とかも、教えてもらえますか?」
 
依頼なのだから、依頼主には報告の義務があるというの言葉は、確かにその通りだとも言える。
言われるままに教えた土方は、ついでに、先程から気になっていたことを口にした。
 
「オイ」
「はい?」
「なんで『副長さん』なんだ?」
「え? だって、副長さんじゃないですか」
 
確かにその通りではある。
だが、どうにも他人行儀な感じが拭えない。
実際に他人であるはずなのだが、しかし土方はそれがどうにも気に入らなかった。
その理由には目を瞑ったまま。
 
「名前で呼べよ」
「え?」
「名前でいいっつってんだよ」
「で、でも、天下の真選組の副長さんを、そんな……」
「その本人がいいっつってんだろーが」
 
隊士以外の奴から肩書きで呼ばれるのは好きじゃねェんだよ、と土方が言えば、は「そういうものなんですか?」と小首を傾げながらも素直に頷いている。
 
「え、ええと……それじゃあ、交換条件です!
 副長さ…っと、土方さん、も、わたしのこと名前で呼んでください!」
 
その言葉に、そう言えばの名を呼んでいなかったことに土方は気付く。
だが、敢えて呼ぶとなると、気恥ずかしいものがある。
一体、苗字で呼べばよいのか、それとも名前でよいのか。
迷った挙句。
 
「……さん、とでも呼べばいいのか?」
「え、あ、『さん』は無くてもいいですよ。わたしの方が年下ですし、偉くもないですし」
「なら、、か」
「……っ!」
 
途端、顔を真っ赤に染め上げる
それにつられたように、土方もまた心なしか赤くなった。
ただ名前を呼んだだけ。
たったそれだけだと言うのに、お互いの顔を見ていられないほどの恥ずかしさがこみ上げてくる。
かと思ったその時、突然、が「そ、それじゃあ、わたしはこれで!」とその場から駆け出した。
土方が呆気に取られたのは数瞬。
だがそれは、が逃げるには十分な時間で。
 
「テメェェ!! 何逃げてんだコラァァァ!!!」
 
そう土方が叫んだところで、が止まるわけもなく。
の後姿は、あっという間に見えなくなってしまった。
まさか追いかける必要性があるわけでもない。
頭を掻きながら、落とした煙草の代わりを取り出し、火をつける。
そのまま見廻りに戻ろうと足を進めたところで、鳴り響く携帯。
確認すれば、メール着信が一件。
 
 
『言いそびれました!
 携帯電話ありがとう<ございました!!

 

 P.S.お仕事頑張ってくださいね』
 
 
タイミングから考えて、走り去った直後にでも打ったのだろう。
息を切らしながら、それでも律儀にメールを打っているの姿を想像するだけで、何やら微笑ましい気分になる。
そんな自身の感情に気付き、土方は内心で苦笑した。
 
「……総悟の奴が嵌るのも、道理かもな……」
 
苦笑しながら、自身もまた同じように嵌りかねないことを否定できずにいる。
そうなった時は、そうなった時だ。
土方にしては珍しくも楽天的な思考をして。
再び、見廻りへと戻ったのであった。



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長っ! 長すぎっ!!
本当は、12話と合わせて一話だったはずなんですが。いつの間にやら。