HEAVEN 〜夢か現か幻か〜



「ん? トシはまだ起きてきてないのか」
「そういえば。今朝はまだ姿を見てないですね」
 
の朝は忙しい。
何せ真選組屯所で隊士たちの朝食を支度し、片付け、簡単な掃き掃除。そして時間があれば洗濯と。これだけのことをこなした後、万事屋へと赴いているのだ。
忙しい朝、大勢いる中の一人一人のことにまで気が回らないのは仕方がないことではあるのだが、それでもは今まで気付いていなかったことに少しながらも気が咎める。
 
「今日は非番とかじゃないですか?」
「イヤ。今日は普通通りの勤務のはずなんだが……」
 
珍しく寝過ごしてるのかな、との近藤の言葉に、は鍋の火を止める。
 
「それじゃ私、起こしてきましょうか?」
 
聞いてはいるものの、自分で起こしに行くつもりらしく、すでには手を拭いて近藤の返事を待っている。
どんな些細なことでも他人に頼まず、当たり前のように自分で動くに、申し訳ないと思いつつもつい頼んでしまうのは、の笑顔のせいだろう。
そして今日もまた笑顔につられて頷いてしまった近藤の了承を得て、は土方の部屋へとやってきた。
 
「土方さん、起きてますか? 土方さん―――開けますよ?」
 
一応は声をかけ、ゆっくりと障子を開ける。
予想通りというか、土方はまだ眠っている。
真選組の副長として激務をこなしているのだ。相当に疲れが溜まっているのだろう。
普段の様子からは考えられないほどに穏やかな寝顔を晒している土方は、起こしてしまうのが申し訳なく思えてくるほど。
しかし非番の日だというならばともかく、そうでないのならば、起こさない方が逆に迷惑と言うものだろう。
一人頷いて、は屈み込むと「土方さん、朝ですよ? 起きてください」と声をかける。
が、幾度呼びかけても、土方が目を覚ます気配は無い。
遠慮がちに身体を揺すってみるものの、低い呻き声をあげるばかり。
なかなか起きてくれないことに焦りを感じ、困り果ててしまったは、何とか起こす方法は無いものかと考えてみる。
思い切り揺するなり、いっそ叩いてしまうとか。そんなことも考えてみたが、さすがに真選組副長に対して、そんな恐れ多い事はできるはずもない。
あまり乱暴的でなく、且つ確実な方法。
思い当たる方法は、無いわけではない。が、所詮それは万事屋内でのやり取り。この場で効果があるかは不明である。
それでも、やってみるだけならタダだ。
は寝ている土方の耳元へと口を寄せると、一瞬考え込んでから口を開いた。
 
「土方さん、朝ですよ。起きてください。起きてくれたら、おはようのキスしてあげますから」
 
―――それは、寝起きの悪い銀時のために時折が使っている手段だった。
万事屋における朝の挨拶が、神楽に合わせて(とは思っているのだが)「ほっぺにちゅう」になって以来。特に依頼人が来る日の朝など、まだ寝ている銀時の耳元でこれを言うと、銀時は驚いて(とやっぱりは思っているのだが)バネ仕掛けのように跳ね起きるのだ。
まさかとは思いつつも、同じように驚いて飛び起きないものかと実行しただったのだが。
の言葉が終わるや否や、ぎょっとしたように見開かれる土方の目。
他の人でも効果があるんだ、と妙な感動を覚えつつも、無事に土方を起こせたことにが安堵したのも束の間。
突如として掴まれた腕。ぐいと引き寄せられる身体。
何が起こっているのか気付くよりも先に、眼前に迫っていた土方の顔。
ようやくが自分の置かれた状況を理解できたのは、すでに口唇が重ねられてからのことだった。
理解できて尚、はあまりの出来事に動けずにいる。
先に我に返ったのは土方の方だった。
自分がしている行為に気付くや、慌てての身体を押し返す。
起き上がりながら現状を整理しようとしたが、一体何がどうなっているのか、さっぱりわからない。どこまでが夢で、どこからが現実だったのか。
とにかく土方にわかるのは、夢うつつの状態だったとは言え、に口付けてしまったと。その事実だけである。
 
「わ、悪ィ……」
「い、いえ。すみません、私も……」
 
何故そこでが謝る必要があるのかがよくわからないが、口篭ったその言葉は確かに謝罪の意を示すものだった。
普段であればにこにこと笑顔を向けてくるが、今この時ばかりは目を逸らしている。
とは言え、の顔を直視できないのは土方も同じで、が耳まで顔を赤くしていることを横目でちらりと確認するのが関の山だ。
互いに謝罪の言葉を述べたきり。なんとも居心地の悪い沈黙が場を支配する。
その沈黙を破って動いたのは、今度はの方だった。
 
「そ、その……私、起こしに来ただけですので、あの……朝ご飯、準備できてますので。そろそろ……」
「あ、あァ。悪かったな、わざわざ」
 
目を合わせようとしないに、土方もまた目を逸らしたまま、やや間の抜けた返答を返す。
もっと他に言うべき事があるような気がするのだが、それが何なのか。わからないままの、返答。
それを聞いたは、これでようやく自分の役目が終わったとばかりに、もごもごと何やら呟いて立ち上がると、ふらふらした足取りで部屋を出て行った。
少しして派手な音が聞こえたことからするに、転ぶかどこかにぶつかるかしたのかもしれない。
確認に駆けつけることもせず、布団の上に座り込んだままの土方の脳裏を占めるのは、つい数分前の出来事。
 
夢うつつの中で交わした、口付け。
 
今の反応だけでは、がどう思ったのか、まるで判断できない。
土方のへの想いは伝わってしまったのか。そしては、土方のことをどう思っているのか。
まだ何も伝えていないどころか、当面はの様子を窺うつもりであったというのに、しでかしてしまった今の一件。
下手をすれば、に逃げられてしまうのではないか。
一体どんな顔をして会えばよいのか。
思わず頭を抱えた土方の口唇には、まだ柔らかな感触が残っていた。



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美味しい展開でも美味しく思えないのがウチの副長です(笑)