HEAVEN 〜いい人、悪い人〜



返事は今すぐでなくてもいい。
そう言われたものの、だからと言っていつまでも放置しておく訳にはいかない。
何より、告白されて、それで何も思うところなくやり過ごせるかと言えば、そんなはずもない。
だが一体、どんな返事をしたらよいのか。一晩悩んでみたものの答えは見つからず、得たものと言えば目の下のクマと、大量の欠伸くらいのものだ。
すれ違う隊士たちと挨拶を交わして歩きながら、は寝不足の頭で再度考える。
好きか嫌いかと問われたら、間違いなく好きだと言える。だが、果たしてその「好き」の感情が沖田の望むものであるかとなると、それはまた別問題。今まで友達だと思ってきたのをいざ恋愛対象にしてみようとしても、なかなか上手くいかない。
 
「うぅ……総ちゃんのばかぁ……」
「テメェでもそう思う事があるんだな」
 
言っても仕方のない不満を思わず口に出してしまったところで、意外だと言わんばかりの声が上から降ってきた。
どうやらいつの間にか俯いて考え込んでいたらしい。反射的に顔を上げれば、目の前に土方が立っていた。気付かず歩いていたら確実にぶつかりに行っていただろう。
だが今の言葉はどちらかと言えば八つ当たりに近い。誤解させては悪いと、慌てては沖田を庇った。
 
「い、いえ、今のは違うんです! 八つ当たりみたいなもので、総ちゃんは悪くないんです! 私が勝手に、ただ、その、ちょっと……」
「ちょっと?」
 
尻すぼみになる言葉を、どうやら土方は聞き逃してくれなかったようで。
うっかり滑ってしまった自分の口を呪いながら、どう誤魔化そうかと眠い頭で懸命に考える。だが寝惚けた思考回路が、鬼の副長とも呼ばれる目の前の男に敵うはずもない。
 
「総悟に何かされたか?」
「いえ、その……」
「告白でもされたか?」
「何で知ってるんですか!?」
 
驚いて声をあげると、言い出した土方もまた同様に驚いている。
今のがカマかけに過ぎなかったのだと今更ながらに知れるが、もう遅い。
恥ずかしさから咄嗟に逃げ出したくなったものの「とうとう言いやがったか」との呟きに、は踏み出しかけていた足を止めた。
疑問の視線を投げ掛ければ、「気付いてなかったのか?」と前置きされた上で土方が言葉を続けた。
 
「総悟のヤツはずっとてめーの事が好きだったんだよ。んなモン、誰が見たってわかるほどにな。本当に気付いてなかったのかって何でそこで泣く!!?」
 
呆れたような声音は、唐突に焦りの混じったものへと変貌する。
にしてみれば泣いているつもりは無かったが、指摘されてしまえば涙が止まるかと言えばそんな事もなく、むしろ一層その量が増えた気さえする。
いつからそういった意味で好意を持たれていたかはわからない。だが今まで自分がしてもらった事が、その好意からのものだとしたら。それにまったく気付いていなかったなんて、どれだけ酷い事をしていたのだろう。
そう思うと、申し訳ない思いで堪らなくなる。こらえようとしても、勝手に涙が出てきて止まらないのだ。
後から後から溢れ出る涙を拭いながら、一体どうやって沖田に詫びたらいいのかと、その事ばかりがの頭の中で回り続ける。目の前にいる土方の存在をすっかり忘れたように。
だからそれはにとって酷く唐突だった。不意に腕がぐいと引かれたかと思うと、何故と問う間もあらばこそ、いきなり口を温かいもので塞がれたのだ。
たっぷり十数秒。口吻けられているのだとわかった時には、すでに口唇は離れ、残された温もりだけが、今のが現実であったことを告げていた。
 
「止まったか?」
「え……?」
「女を泣き止ませるにはコレが一番だって言うだろうが」
「……とりあえず、びっくりしすぎて涙は引っ込んじゃいました」
 
確かに、気付けば涙は止まっている。誰だっていきなり口吻けられたりしたら、泣いてる場合ではないだろう。
恥ずかしさのあまり顔が火照るが、ここは礼を言うべきなのだろうか。
火照りの冷めない頬を押さえながら考えるものの、それも何かおかしな話だ。口篭り迷っているところへ「ここで泣かれたら俺が泣かせたみてェじゃねーか」と言われ、は思わず謝ってしまう。
謝り、涙は止まったが。しかしそれで何が解決したわけでもなく、振り出しに戻っただけである。
どうせ戻るなら、いっそ何もかも始めからやり直したい、などとつい思ったところでどうにかなるわけでもない。
未だ熱い頬を押さえながら困り果て思わず溜息を吐いたに、土方は何を悟ったか。
 
「そんなにイヤだったのかよ。告白されたのが」
「……イヤってわけじゃ」
「だが困ってんだろ」
「…………はい」
 
嫌だと言うわけではないのだ。本当に。
好いてくれている事は嬉しいと思う。
けれどもそれ以上に、どうしていいのかわからないというのがの本音だ。
一体どうするのが最良なのだろう。
縋るような思いで土方の顔を見ると、呆れられたのか盛大な溜息を吐かれてしまった。
自分で考えろと言われるだろうか。それも当然だろうと項垂れただったが、意外にもそんなような言葉はかけられなかった。
 
「困ってんなら、付き合ってやる必要はねェだろ」
「え」
「お義理やお情けで付き合われても、虚しいだけだろ。それに総悟のヤツも、何もてめーを困らせたかったワケでもねェだろうしな」
 
―――きっと、第三者からのその言葉が欲しかったのだと、は気付く。
後押しもあったから、こういう結論に達したのだと。何かあった時に、そう自分を慰められるように。
途端に安堵した自分に気付くと同時、そんな自分自身に対する自己嫌悪にも陥ってしまう。先延ばしにしていた結論は出たけれども、おかげで一つ、自分を嫌いになってしまった。
そして、再度溜息。
それは、嫌になってしまった自分自身に対してのものだったり、これから断りの言葉を告げなければならない憂鬱に対してのものだったり。綯い交ぜになった重いばかりの感情が、溜息と共に身体の外へと出てしまえばいいのに。そう思わずにはいられない。
 
「好きなヤツとか、いねェのか?」
「はい?」
「他に好きなヤツがいるなら、そう言えば総悟にも断りやすいだろ」
 
それは正論だ。何より、そんなところにまで気を回してくれる土方に、感謝を通り越して申し訳ないとさえ思う。
だが、それよりも。
土方の言葉に、の脳裏に反射的に浮かんだ顔がある。好きな人、そう言われて……
 
「い、いい、いません! いませんから! べ、別に銀ちゃんはそういうんじゃなくてっ!! あ、あのっ、ありがとうございましたっ! 失礼します!!」
 
ただでさえ火照っていた頬が更に熱くなるのを感じ、逃げるようにしてはその場から駆け出した。
去り際、土方が何やら妙な表情を浮かべていた気もしたが、今のにそれを気に留めるだけの余裕は無かった。
反射的に思い浮かべてしまった顔。
同時に、今まで意識しないようにしてきた事までも脳裏に蘇ってくる。何気ない会話、助けてもらったこと、成り行きとは言え抱き締められる格好になったこと……
次々に浮かぶ記憶に、頬が熱くなることを止める事ができない。
 
「銀、ちゃん……」
 
思わず呟いた名前に、返事はもちろん無い。とて、何を期待した訳でもない。
ただ一つ、わかった事がある。
 
「……どうしよう」
 
また一つ、困ったことができてしまったと。そのことだけが。



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あと3話くらいで終わるといいなぁ……と思ってはいるのですが、はてどうなることか。