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リアル 1
餅つきの現実
2004/1/5

去年の年末も、すずき床屋さんの餅つき大会に参加して、ほんの少しだけど、杵をふるわせて貰った。
自分の様子がわからないので、他人のことが言えるのだけれど、みんなヘタクソ。

杵を振り上げて、振り下ろすだけの単純な運動。
なのに、経験のない若い衆は、いい大人でも、へっぴり腰で、なんだか危なっかしい。
それが、いい年のおじさん(推定60代)が、大変さまになってる。
ちっともばてず、楽々、杵を振る。
そういう人は、もう長いこと餅つきなんてやってないけど若い頃は、これしかなかったからようやった、という経験者。

杵で臼の中のもち米をつくのが餅つき。
そんなことは、日本人ならば大概知ってる常識中の常識。
臼と杵があって、臼の中に、白いものが入っていれば、何をどうするか誰でも知ってる。

ところが、そんな知識だけでは、ちゃんと餅を搗くのは、到底無理。
実地はもっと難しい。

振り上げて、振り下ろす、それだけの動作が、初めての人と慣れた人は、一目でわかるほど、見た目からして違う。
もちろん、初心者が、へっぴり腰で杵を振れば、撞きあがる前に、杵のお餅は冷めてしまう。

それに本当は、蒸したもち米を臼の中に放り込んで、いきなりペッタンペッタンなんて出来ない。
まずは、もち米を杵でつぶす、粘りが出たところでやっと杵を振り下ろす事ができる。
いきなり、搗き始めたら、餅米は潰れず臼の外へ飛び散る。
で、これがまた、搗くより疲れる、おまけに花がない、と言うか爽快感にかけるというか、要するに地味。

搗いてる途中、杵に餅がこびりつかないよう水をすこしつける、でも、これもあんまり何度もやると、餅がべとべと、柔らかすぎてグニョグニョ、水加減だって難しい。

あれも、これも、ほんとのもちつきを、説明しようとすると、きりが無い。

実際、自分でやる餅つきは、例えば本や、テレビ、それにインターネット、そう言った、いわゆるメディアを通して得らる知識だけで何とかなるもんじゃないなと思う。

インターネットに、情報が溢れている、情報の洪水から、いかにして有効な情報を効率よく拾い上げるかが問題だ。
とか、情報インフラの差による、デジタルデバイトが生み出す新たな差別だとか。(ようはインターネットを利用できない人はどんどん世の中の動向に遅れて、知ってさえいれば手に入るお金や物を手に入れられないという事だと思う。)

そんなの聞いてると、インターネットの情報が万能、ネットは全て知っているなんて気になる。
私自身、インターネットを始めた頃、海外にメール友達を作る事や、個人輸入が、簡単にできること、海外旅行の情報が、本なんかよりずっと、詳しく具体的に手に入れられる事に、とても驚き、感動した。

でも、ちゃんと喰える餅を搗くことひとつに、到底インターネットでは伝えきれない量の情報がある。
インターネットに情報は溢れているかもしれないけど、この世の全ての情報がインターネットで全てわかるようには、永久にならない。
餅つきして、そんなことを思った。

私は、ほんの小さな頃に、大人たちが、餅を搗く光景しか憶えていない。
床屋さんの餅つきが初体験に近い。
だから、やってみて初めてわかることがいっぱいあった。

さっきの水の加減のこともそうだし、それよりもっと、当たり前の話。
蒸しあがったもち米は当然ものすごく熱くて、餅を素手で返すと、火傷しそうになる事。
でも、熱いからと、手を水で冷やしてばかりいれば、餅米は冷めるは、水分が多すぎて、粘りが無い、どろどろの糊みたいな餅になるは。
つまり熱くても我慢して餅を返さなければ餅は出来ない。

熱い、寒い、だけじゃなく、搗きたてのお持ちの柔らかな感触、水が多くてネチョネチョの失敗した餅の感じ、餅米を杵でつぶしていくと早々とばてて、息の上がる情けない自分、杵を振るうのだってそう楽じゃない、床屋の若旦那は、翌日腰が痛くておうじょうしたらしい。

こう言うこと、体を使って初めてわかる感覚。
インターネットだけでなく、本、テレビ、新聞、そういうメディアの情報は、それを伝えきる事は出来ない。
やってみてわかることというのが世の中、結構多い(もちろん、かじっただけではわからない事、もたくさんあるに違いない)。

はたで見てると簡単な事も、実際やってみるとけっこう難しい、ということ。
理屈や理想と現実や現場は違うとよく言う、私は違いはしない、と思う。

ただ、現実や現場の実態は、理屈や理想よりははるかに複雑、という事だ。
言葉にしたり文章にしたりするとぬけてしまうこと、つまり一つ一つ全部意識するわけにはいかないような瑣末な事が全部絡み合って、餅つきが上手くいったり、いかなかったり。

いま、上手くいくと言ったけど、どうなれば上手くいくということになるのか、それすら、現場、現場で違うということだってある。
おいしいお餅が出来たらよかったのか、みんなが杵を振るえたら成功なのか、腰が痛くならず、翌日ちゃんと仕事が出来たらOKなのか。
些細な事にこだわりだせばきりは無いけれど、そういうことのどれかを切り捨てる事は出来ない、だって、実際起こっていることはそういうことなんだから。

1月4日の毎日新聞の「時代の風」と言うコラムに、「暗黙知」という言葉が出てくる。

”暗黙知とは、その分野に携わる人ならはっきり言葉で書かれたり言われたりしなくても、当然持っている知識のこと”

「畑村洋太郎・工学院大教授」が、書かれた文章で、インターネットでも読めるので、詳しくはそちらを読んでみてください。

この暗黙知が、理屈と現場の違いとか、見てると単純、実際複雑の理由、メディア情報の伝えられない情報かなと、思う。

 

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