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ジョニーは戦場へ行った ドルトン・トランボ作 角川文庫

第一次世界大戦下、戦傷によって無残な境遇に置かれた、若き一兵士の姿を通して描かれる戦争の悲劇。
第二次世界大戦、朝鮮戦争と、戦争のたびに絶版処置がとられた、反戦小説。
1938年、トランボ、33歳の時の作品
1971年、トランポ自身の脚本、監督により映画化、トランポの生涯でただ一本の監督作品。


皮膚感覚以外の全ての感覚を奪われ、なお、正気のまま生き続ける男。
意識の戻った主人公は闇の中で意識を取り戻しますが、何も見えず、なにも聞こえない、四肢を無くし、触れる事も出来ない。
魂だけが生き残ったといえばいいのかもしれない。

物語は、主人公の視点から語られます。
闇に閉ざされたこの状況で、主人公が、どんな行動も起こせるとは思えない。
あまりに無力なこの立場で、一体どんな物語が始められるのかか想像も出来ない。
と思いながら、読み出したのですが、すぐに物語りに引き込まれました。
肌に触れる感覚のみを頼りに、空気の揺らぎ、わずかな温度の変化を、狂おしいほどの集中と、根気で読み取り、外の世界、魂の閉じ込められた肉体のそのむこうとの関係を取り戻そうとする。
その過程に私も引き込まれ、一緒にもがいているような気になります。

斬新な着想とそれを支える優れた物語の展開。
面白いというのは、適切ではないですが、一気に読まされてしまう、いい本です。

トランポは、この小説を書いた後の1947年、反米活動調査委員会により逮捕、投獄。
このときハリウッドで、FBIなどの国家権力に一個人として最後まで抵抗、ハリウッドから追われた人々は「ハリウッド10」と呼ばれ、トランポもそのひとり。
その後彼は、トランポの名で、脚本を書くことはかなわず、まさに社会的に抹殺されます。

「ジョニーは戦場へ行った」は、彼のこの悲劇を暗示した作品といえると思います。
ジョニーは、国家の大義により戦場に送られ、自分の肉体の中に魂を閉じ込められたように、トランポもアメリカ国家の大義によって、社会に対するかかわりを封殺されました。

しかし、ジョニーもトランポも、自身の境遇に屈する事はありませんでした。

ジョニーは、自分に唯一残された、感覚を頼りに、外の世界との関係を取り戻していきます。
その過程を私は、息を凝らし、読み進んだ事を思い出しました。

トランポもまた、表現する事をやめず、偽名を使い、あるいは友人の名を借りて、脚本を書きました。

1956年、黒い牡牛でアカデミー原作賞を受賞する無名の人ロバート・リッチはトランポの偽名、アカデミー会場に彼の姿はなく、受賞は拒否、以後、原作賞は廃止。

あの「ローマの休日」はトランポが友人の名を借りて書いた作品です。

1960年、「栄光への脱出」でついに、自らの名を取り戻したトランポは、自らの原作の映画化に取り掛かります。
トランポ65歳。
ジョニーは戦場へ行ったを映画化した彼の意図は、戦争の悲惨さをジョニーの境遇にたくしたという単純なものではなかったともいます。
国家が大義のために、個人を縛り、個人の社会とのかかわりたち、何も見えず何も聞こえない状態に置くことの非道。
しかし、それでも魂は、国家に屈することなく、人と人とのつながりを渇望しそれを果たそうとする。
自分の生き方と、ジョニーの生き方を通してそういいたかった。
野田と思っています。

北朝鮮から、拉致され、北に閉じ込められた日本人の方々が帰国されました。
今も、北の権力は、この人々を権力の鎖でつないでいるように思えます.

帰国された日本人、北にまだとらわれたままの日本人、北朝鮮の一般の人々。
彼らは、個人と個人が繋がる本当の社会を奪われ、国家のスローガンと銃弾に縛られ、ジョニーのように魂を封殺されています。

北朝鮮の人々こそ、闇に閉ざされたジョニーなのだと思います。。

ハリウッドに吹き荒れた、レッドパージ、マッカーシ旋風の悲劇は、ローバート・デ・ニーロ主演 真実の瞬間(1991) という映画に描かれています。

2002/10/26

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