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21世紀には、43歳になっていた。

スキップ  ( 新潮文庫)

中学生の時に、大阪で万博があった。
社会見学で行った万博それ自体は、それほど面白いものではなかったけれど、未来はどんなだろうと考えた。
そして、21世紀は、中学生の私にとって、夢の未来の向こうにあった。

いま、43歳のおじさんは、大気圏を越え月から新年を迎えたわけでもなく、ワープして初詣に出かけるわけでもない。
ジャージにサンダルでよたよたと20世紀から21世紀へ踏み出してしまった。

17才、高校生の少女が、突然、25年後の自分と入れ替わる。
25年間の時を飛び越えて、つまりスキップして、17の女の子のこころは、42歳の未来の私の体と生活(なんと17の娘がいる)に飛びこんでしまう。
これがスキップと言うお話。

直木賞の候補になった作品。
新書のときに、新聞雑誌の書評に取り上げられて、興味はあったのだけれど、十七から四十二へというシチュエーショが、リアルなおじさんにはきつくて、読むのをためらっていました。

二十かそこいらの小娘が、私も、もうおばさん。なんて言ってるような甘いもんじゃない。
四十過ぎのおじさんの体は、もう、情けない限り。
太りました、ブヨブヨ。もちろん暴飲暴食、運動不足、自分の不摂生も自覚しておりますが、加齢による代謝率の減退は、如何ともしがたい。
実は、耳に毛が生えてきた、黒くて長いの。眉毛も、鼻毛も、伸びるのでトリミングが必要。
白髪だって、染めるのか、このまま放っとくのかの決断を迫られる日はもう近い。
トイレに行けば、隣で、若い子が入れ替わりしても、まだ終わらない。

十七のからだが、四十三のからだに入れ替わったら。

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からだの変化とともに、心にも変化はある。
十七の頃には気付かなかったこと、43歳になってわかること。
人生には、限りがある。

自分のからだの変化が、つまりは、老いていくことだとわかったとき、初めてその事に気が付いた。
もう、人生の折り返しは過ぎた。
怖いと思うほど、切羽詰った感覚ではないけれど、すべてのものに別れを告げる時が来るのだというせつなさは、消えることは無いだろう。

十七の頃と四十三の今。
世の中の移り変わりも大きいけれど、なにより、自分自身の変化のほうに驚くと思う。

それでも、読んでみたいと思ったのは、スキップを取り上げた書評のどれもが、爽やかで、前向きな作品と評価していたから。

文庫版は、たっぷりの厚みが合ったけれど、一気に読めたのは、丁寧で軽快な文章のせい。
こまやかな情景描写は、読んでいる私をすんなりとの物語に誘い込み、きびきびと交わされる会話が、ページを繰る手を進ませる。

残酷な時の仕打ちに、憤り、悲しみはするけれど、なにより、意地っ張りの主人公(真理子さん)は、負けまいと決意する。
あの時に戻りたいという切ない望みはすてられない、けれど今このときを、進むこと、自分の成すべきことに恐れず向かっていく。

批評家によっては、あまりにポジティブな彼女の行動や、周りの人々の爽やかさを、現実とか、リアリティとかで批評するかも知れない。

でも、悩んだり後悔することだけがリアルなわけじゃない。
真理子さんがこんなふうに言うことに、そうだ、頑張れと声をかけたくなる。

手を見た。いつの間にか、祈るようにあわせていた。(中略)
「わたしにはもうぽかんとしていられる時間なんてないんです。とにかく、自分のやることを見つけ、それをしなくてはいけないんです。そうでなかったら、わたし、------ この世から消えた時、父や母に合わせる顔がありません」

最後に文庫のあとがきから、
私も含めた、<桜木真理子さん>世代の人たちとは、「よかったねぇ.....泣いちゃった」と言いあった。いい大人の感想としてはシンプルすぎるが、これだけで充分通じた。物語のどこで涙したかも、互いに分かっている。

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