別稿に疑問詞・なにのアクセントをお書きしました。そのものは頭高なれど、体言が後続すると無核になる、というのが筆者の主張です。となると、指示代名詞、いわゆるコソアド、はどうでしょうか。そのものは勿論、平板ですね。これ、それ、あれ、どれ、は皆○●です。東京語も飛騨方言も同じのはずです。ところで、例文と参りましょう。
これ、知っとるなけな。
飛騨の方なら説明も不要、必ず頭高で発音して、意味は、"これこれ、あなたはご存知ですか"、です。ところが飛騨方言では、これ、を平板アクセントで発音すると、意味は、この事をご存知ですか、に変わってしまいます。東京語も同じでしょう。次の例文と参りましょう。
それ、わりの大好物やぞ。
飛騨の方なら説明も不要、必ず頭高で発音して、意味は、"そらそら、あなたの大好物よ"、です。ところが飛騨方言では、それ、を平板アクセントで発音すると、意味は、それがあなたの大好物だものね、に変わってしまいます。東京語も同じでしょう。次の例文と参りましょう。
あれ、こーわいさ。
飛騨の方なら説明も不要、必ず頭高で発音して、意味は、あらら恐縮します、です。ところが飛騨方言では、あれ、を平板アクセントで発音すると、意味は、あの事は恐ろしい、に変わってしまいます。東京語も同じでしょう。次の例文と参りましょう。
どれ、くってみるが。
飛騨の方なら説明も不要、必ず頭高で発音して、意味は、"どれどれ、食べてみるかい"、です。ところが飛騨方言では、どれ、を平板アクセントで発音すると意味は、どちらをたべてみますか、に変わってしまいます。東京語も同じでしょう。
我ながらアホな記事を書いていると感じますが、指示代名詞は普通は平板ですが、おなじ言葉を頭高に変更可能で、それは全て感動詞になる、という事なのでしょうね。飛騨アクセントのお話ではなく、東京アクセントがというお話をしているのかも知れません。
つまりは頭高で発音すると、
これ=他の事はいざしらず、まさにこの事
それ=他の物はいざしらず、まさにその物
あれ=他の事はいざしらず、まさにあんな事
どれ=どれでもない、まさにこの物
という意味になるのが東京式アクセント、というか
飛騨式アクセントなのでしょう。そして、これら指示代名詞はすべてアクセントが変わった瞬間に感動詞に豹変する。
おまけ
今は夏ですが、上記の例文は、実は佐七の好物で飛騨の名物・ほおば寿司、についてでした。ほっと、うんめーでなあ、夏に飛騨を観光せる人ぁほおば寿司くわにゃ絶対にだしかんさ。