ねだる、を飛騨方言ではおはる、といいますが、
尚、両語は同根で強張る、であろうと推察して以下に議論します。
つまり前提条件としては次のような言葉の変遷があったとしましょう。
飛騨方言 ごうはる>ごはる>おはる
共通語 ごうはる>ごうにはる>ごうねはる>ねはる>ねだる
そうしますと両語のアクセントの比較においてとても奇妙な事に
気づき、むむっ、書かざるを得ません。
またなお上記の前提があやまりであると全ては馬鹿馬鹿しい
空論になりますので、その場合はご容赦を。
本題ですが、ねだるのアクセントは○●○ですが(●=強、○=弱)、
実はおはるのアクセントは○●●なのです。
若し○●○と発音するとそれはもう飛騨方言ではありません。
例えば、お春(のばあさん)のような全く別の意味になってしまいます。
さて、古語の表現のアクセントですがこれはもう、
ごうはる○●●●、ごはる○●●であったとしか考えられません。
なぜなら、おはる、も含めて三拍のことばですし、ご>お、のように
音が変化した部位に強アクセントは有り得なかっただろうと
考えられるからです。また逆に言えば強アクセントのある部位は
幾世を経ても音も変化しないだろうと考えられましょう。
飛騨方言 ごうはる○●●●>ごはる○●●>おはる○●●
であったのであろうというのが筆者なりの推論です。
つまりは共通語を話す人々は
(ね)だる、という言葉は元々は(ね)張る、なのにそれをいつしか忘れ、
アクセントも、ねはる○●●>ねだる○●○、というように
変えてしまったのではないでしょうか。
これに関連して、共通語の二拍動詞・張る、のアクセントを考えて見ましょう。
○●です。●○ではありません。
言い換えれば共通語の方々は動詞・張る、だけは上代のアクセントを
忘れずにとうとう現代まできたのですね。えらいぞ。
また例えば、見張る○●●も忘れなかったんだ、えらい。
ただし、言い張る○●●○はアクセントを変えてしまいました。
それに引き換え飛騨方言は、ごうはる○●●●>>おはる○●●、
のように、(a)アクセントは一切変わらなかったし、
(b)音も上代からの変化がわずかなものに
留まっているというのが私なりの推論です。
ねえ、こう考えてみると面白いでしょう。
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