複合動詞・〜しまくる、ですが、
共通語においては、く、にアクセントの核があります。
ところが飛騨方言においては、まくる、は全て低アクセントで、
つまりはアクセントの核は前項動詞に存在するようですね。
例えば、
東京式 飛騨方言
泣く ○▼ ○▼
泣きまくる ○●●▼○ ○▼○○○
書く ▼○ ▼○
書きまくる ○●●▼○ ▼○○○○
およぐ ○▼○ ○▼○
およぎまくる ○●●●▼○ ○▼○○○○
あれこれ説明は野暮というものですが、
共通語では前項動詞にもともとアクセント核があっても、
後項動詞まくる、にアクセントが移動する結果、前項動詞
のアクセント核は消失するが、飛騨方言にはその現象は無い、
というわけです。
この事は、実は俚言的な言い回し・〜しまる、という
複合動詞に端的に現れます。
(動詞連用形)+飛騨方言後項動詞・まる(=まくる)
をご参考までに。
東京式 飛騨方言 飛騨俚諺
泣きまくる 泣きまくる 泣きまる
○●●▼○ ○▼○○○ ○▼○○
書きまくる 書きまくる 書きまる
○●●▼○ ▼○○○○ ▼○○○
およぎまくる およぎまくる およぎまる
○●●●▼○ ○▼○○○○ ○▼○○○
結論ですが、東京式・まくる、から一語が脱落して
飛騨俚諺になったのではありません。
おそらくは中世以前から飛騨方言のアクセント体系は
この複合動詞の点に関しては東京式ではなかったから、と考えざるを得ません。
もともとが、まくる○○○、で無核だったからこそ
語の脱落が生じたのでしょう。しゃみしゃっきり。